思記 / @southwisteria の日記

流れに逆らう舟のように

「わからない」のは「難しい」から?

先日、G1カレッジのあり方に対する批判的な投稿をしたところ、様々な方面から様々なリアクションがあった。その過程で思うところがあったので、文章にしたい。これは「様々な」リアクションに対する直接的な回答ではなく、それらを踏まえた上で、今後の回答の方向性を記すものである。

 

なぜ「わからない」が続出したのか

今回の投稿に対する反応は、一見多様なように見えて、実は極めて画一的である。その反応というのは、簡単に言えば、「わからない」だ。コメントの多様性はその言い換えに過ぎない。僕の主張の意図を正しく汲み取った上での応答は、数えるほどしかなかった。これは文章を書く人間として、大いに反省するところである。

なぜこのような反応が生じたのか。それに対する回答として複数の人から挙がったのが「文章が難し過ぎた」である。文章の難易度が相手のリテラシーを超えていたため、彼らはブログの文章を読むことさえできなかった。故にもっと簡単な言葉で丁寧に説明すべきだ。このような主張は多数あった。

もちろん、そのような要素があったことは否定しない。しかし、果たして本当に文章の難易度だけなのだろうか。徹底的に噛み砕けば、このような結果にはならなかったのだろうか。NOとは言わない。しかし同時に、僕はYESだとも思わない。おそらくこの問題は、リテラシーの問題(だけ)ではなく前提の問題である。

 

なぜ塔を建てられないのか

論理を積み木に例えると、議論とは、複数の人間が積み木を積みあって一つの塔を作るプロセスだと言えるだろう。それぞれの設計図を見比べながら、この積み木をどこにどうやって積んでいくかを話し合う行為。それが議論だ。

こう考えると、議論には必要条件がある。それは合意である。合意と言っても様々な合意があるだろうが、ここで特に強調したいのは「どの場所に塔を立てるか?」である。

例えば、あなたが友人のXさんと塔を建てたいとしよう。しかしあなたが必死で積み木を積もうとしているのにも関わらず、Xさんはその積み木を全く別のところに持って行こうとしてしまう。あなたはXさんに対する不信感を強めるだろう。Xさんは何度も何度もあなたの作業を妨害する。結局塔を建てるどころではなくなり、意味不明な行動を繰り返すXさんの人格をあなたは疑い始める。このような状況では、もう塔どころではない。

さて、この不幸は一体どこから生じたのだろうか。バラバラになった積み木の前に神様が降りてきて、なぜこうなったかを両者に聞く。あなたは「Xさんが意味のわからないことをしたから」と言うだろう。しかしXは、「あなたが積み木を運ぶのに全く協力的でなかったから」と言う。よくよく話を聞いてみると、どうやらあなたが塔を建てたかった場所とXさんが塔を建てたかった場所が全く異なることがわかった。Xさんは積み木をそこまで運ぼうとしていたのだが、あなたにはそれが理解できなかった。

「それならそうと言ってくれればよかったのに」

「いや、何度も言ったが聞く耳を持たなかったのはお前じゃないか」

確かにそうだ。あなたは塔をこの場所に建てることを両者が合意していると思い込んでおり、その思い込みから判断して、「Xさんはおかしい。私はXさんを理解できない。」と思い込んでしまった。こう思い込んでしまった瞬間、あなたはXさんの意見を素直に聞くことができなくなる。Xさんの意見を受け入れなくなる。するとXさんも、あなたの意見を素直に聞くことができなくなる。結果として、塔は完成せず、残ったのは徒労だけ。「両者が塔を建てたい場所がずれていたことに両者が気づいていなかった」というたった一つの失敗が、致命的な断絶を生み出したのだ。

 

「前提」の共有を諦めない

少し乱暴だが、これは議論を建築に例えた話だ。「塔」とは「議論のゴール」であり、「積み木」が「論理」であり、「共同建築作業」が「議論」である。そして、この「塔を建てたい場所」が「前提」と呼ばれるものだ。この例え話は「前提」の重要性を示唆している。

「前提」とは「議論のスタート地点における合意」である。デカルトを引用するまでもなく、議論をするためには、所与のものとして両者が無条件に認めなければならないものがある。それが「前提」である。

例えば、乱暴な具体例であることは百も承知で、「有村架純武井咲はどちらが可愛いか」という議論をすることを考えてみよう。あなたは有村架純だと思い、Xさんは武井咲だと思ったとする(逆でも構わない)。この時、あなたはXさんと合意することはおそらく不可能である。なぜなら、「可愛い」とは何かということについて合意できていないからだ。だからまずあなたがXさんと議論すべきは「可愛いとは(少なくともこの場において)どういう意味か」である。例えば「可愛いとは妹を思わせるような柔らかな愛らしさである」という合意ができて、初めてあなたはXさんと有村架純武井咲はどちらが可愛いか」について議論できる。それぞれが出演するドラマや映画を見た上で、どちらが「可愛い」の基準に合致しているかどうかを二人で判断して検討することができる。このような議論こそが、意味のある議論である。

この「前提」が共有されていない時、どのような言葉で語ろうとあなたとXさんは対話できない。なぜなら、「前提」は語られないからである。だから対話が断絶したと感じた時、まずあなたがすべきことは、Xさんに対する説明を平易な言葉で述べることではない。もちろんそれもすべきかもしれないが、それは副次的なものでしかない。まずすべきは、「両者が同意しているところはどこまでで、どこで相違点があって、それは何によるものか」を明るみに出す作業である。僕はこれを行いたいと思う。少し時間がかかるかもしれないが、お待ちいただけるとありがたい。

提案よりも批判を ~G1カレッジ批判~

G1カレッジで覚えた違和感

昨日、G1カレッジのリユニオンに参加した。G1カレッジとは簡単に言えばG1サミットの学生版である。ではG1サミットとは何か。ホームページから引用する。

混迷する世界にあって、次世代を担うリーダー層が集い、学び、議論し、
日本再生のヴィジョンを描くための場にしたいと考え、「G1サミット」は生まれました。(中略) G1サミットでは、政治・経済・ビジネス・科学技術・文化など、様々な分野の第一線で活躍する同世代の仲間が、互いに学び、立場を超えて議論し、未知の領域であった知恵を自らの糧としながら、良き仲間を得て、リーダーとして自身も周囲も成長していくことを趣旨としています。 

その上で、G1カレッジのコンセプトをホームページから引用する。

 (前略) 次の時代を担っていくのは、紛れもなく、10代後半や20代前半の皆さんです。G1カレッジという選ばれた次世代リーダー達のネットワークの中で、日本や世界で既に活躍しているリーダーたちとの連携を加速し、継続的にイノベーションが生まれるコミュニティとなることを願っています。

大体のイメージはこれで掴むことができるだろうか。長々と引用してきたが、とある先輩の言葉を借りれば、要するにこういうことである。

たぶん、日本で一番「意識が高い」イベントでしょう。それもよくある「意識高い系」じゃなくて、ガチガチのガチのやつ。

ありがたいことに、G1カレッジが始まった2014年から僕はこのイベントに参加させていただいている。しかし、失礼を承知で申し上げれば、僕はG1カレッジを心から楽しんだことは一度もない。正直に言えば、いつも正体不明の違和感を抱えながら、何となく参加していた。今回リユニオンに参加して、 その「正体不明の違和感」をある程度特定することができたのでここに記したい。結論から言えば、それは「内輪のノリで物事を進めていこうとするために相互批判的なプロセスが欠如した雰囲気」であり、その背景には「「批判に対する誤解による批判の軽視」がある。G1は大きな指針の段階から既に批判を軽んじており、その悪弊が具体的な部分まで現れている。以下、順を追って説明したい。

 

G1の行動指針から見えるもの

G1サミット・G1カレッジは行動指針として以下の3つを挙げている。

  1. 批判よりも提案を
  2. 思想から行動へ
  3. リーダーとしての自覚を醸成する

ここで注目すべきは、行動指針1と2の差異である。2の構成要素である「思想」と「行動」の両者の関係性は並列である。まず「思想」があり、それが「行動」につながるという構造となっている。一方、1の構成要素の「批判」と「提案」には、明確な上下関係がある。後者がより重要であり、前者は重要な要件として見られていない。

行動指針1単体であれば、「批判も重要だがそれを提案に繋げるのも重要だ」と好意的に解釈することも不可能ではないが、2の存在がそれを否定する。批判の重要性を少しでも感じているのであれば、2と同様に「批判から提案へ」と表現すれば良い。1の行動指針の中には、「批判」という行為の価値を一段階下げようという意思が感じられる。

ではなぜ「批判」はこのように軽んじられているのか。その背景には、「批判」という言葉の解釈に関する認識の相違があるように思われる。

 

批判とは何か

「批判」という言葉を巡っては、先日とあるツイートが炎上したことが記憶に新しい。

森友学園加計学園のスキャンダルや共謀罪強行採決などの経緯もあり、この「批判なき選挙、批判なき政治」 は「権力に対する批判を許容しない」という主張として解釈されて大きな反発を呼んだ。それに対し、ハフィントンポスト編集長の竹下隆一郎氏は、このことを取り上げた記事内で、以下のように分析する。

今の日本は、どこか空気を壊さない「ノリ」が求められている。また、人口が減り続けて、明るい未来が描けない中、日本の政治はサクサクと物事を決めないといけない。そんな状況の中、今井氏にとって批判という言葉は「すっごい悪いことって意味」で使われているのかもしれない。

 以下は先述の記事で引用されていたブログの一節である。(かっこ内は竹下氏)

「(今の若者や子供達にとって)『批判』は和を乱すとか喧嘩を売るって意味でしかない。ケチをつける。因縁をつける。人の気分を悪くする。」

すなわち、今井氏の用いていた「批判」の定義は「難癖・言いがかりをつけて政治の邪魔をすること」という極めてネガティヴなものである。それ故に、政治家であるにも関わらず「批判なき政治」と簡単に発言できてしまったのだ。

では、「批判」とは本当にそのような意味のものなのだろうか。明鏡国語辞典第二版によると、「批判」という言葉は以下のように定義されている。

物事に検討を加え、その正否や価値などを評価・判定すること。特に、物事の誤りや欠点を指摘し、否定的に評価・判定すること。

これによると、「批判」という言葉それ自体に難癖や言いがかりのニュアンスはない。物事を妨害することではなく、その正否や価値を評価することを差す言葉である。物事を検討する上でなくてはならないプロセスであり、ここでの判定を元に、改善案や打開策が提案されるものだ。巷でクリティカル・シンキング(批判的思考)という横文字が流行して久しいが、この思考の必要性が喧伝され続けているのも、「批判」が物事を正しく評価し問題点を適切に洗い出すために必要だからこそだ。グロービス「クリティカル・シンキング講座」なるものを開講している。ここでの「クリティカル(=批判的)」は、おそらく明鏡国語辞典の定義に近しいものだろう。そうでなければ講座など開く意味がない。

しかしG1の行動指針に関しては、残念ながら、先述の今井氏の定義に乗っ取っていると言わざるを得ない。「批判」は「難癖」であり、物事を前に進めない。だから「批判」ではなく「提案」を要求する。このような意味であれば、行動指針1はすんなり理解できる。もし明鏡国語辞典的な定義に従っていれば、行動指針1は「批判から提案へ」となるはずだ。なぜなら、繰り返しになるが、批判とは物事の検討と価値の評価であり、提案にとっての必要不可欠な構成要素だからだ。

G1は、「批判」の定義として「価値評価と改善のためのプロセス」ではなく「難癖・言いがかり」をどちらかと言えば色濃く用いている。その結果、「相互批判による価値評価と改善のためのプロセス」がG1カレッジにおいて欠落し、G1発のアクションに悪い影響を及ぼしている。次項でそれについて説明する。

 

「G1カレッジ発」の問題点

 G1カレッジ発のアクションとして、OPEN POLITICSが挙げられる。OPEN POLITICSとは、「すべての世代に被選挙権を。OPEN POLITICS―“政治”を全世代に開放する。今、政治を変えるとき。」をステートメントとして掲げる学生主体の政治運動である。G1カレッジ2015の政治分科会から生まれたアクションであり、G1関係者の政治家などを巻き込んで、被選挙権取得年齢を18歳に引き下げることを目標に活動している。

予め断っておくが、僕はこの活動に多大な敬意を表したいと思っている。また、これに関わる友人も、皆尊敬できる人ばかりである。だからこそ、この運動についての意見を忌憚なく記したいと思う。OPEN POLITICSの全てを知っているわけではないので、以下の批判は一面的になってしまうかもしれない。不備があればぜひ、この記事を批判してほしい。

OPEN POLITICSの掲げるメッセージはとてもビジョナリーである。確かに、被選挙権取得年齢が18歳になったら、なんとなく、若者に対して開かれた政治になるような気がする。しかし、逆に言えば、ビジョナリーでしかない。OPEN POLITICSは活動目的を「被選挙権年齢の引き下げ、多様な世代の声が反映される政治の実現。」と定義している。おそらく前者によって後者が実現されるということだろう。すなわち最終目的は「多様な世代の声が反映される政治の実現」である。(もしそうでなければ被選挙権年齢引き下げそれ自体が目的化しているということであり、この運動の正当性が担保できない。)しかし、このウェブサイトには、なぜ前者によって後者が実現されるのかの具体的な説明がない。多様な世代の声が反映される政治は、なぜ選挙権年齢の引き下げだけでは実現しないのだろうか。多様な世代の声が反映される政治という目的に対して、なぜ被選挙権年齢の引き下げが効果的なアプローチと言えるのか。そもそも、なぜ「同世代の政治家」は自分と「同じ分の責任を背負って」いると言えるのか。本来運動に際して最も強調すべきこのような部分が、このウェブサイトではふわふわした言葉によってなんとなく示されているだけで、「被選挙権年齢引き下げが多様な世代の声を反映することにどう繋がるのか?」という問いに対する具体的な回答がない。

別に完璧な論理武装をしろと言いたいわけではない。しかし、アクションを起こすのなら、そのアクションをどう位置づけるのかのロジックは明確に通すべきであり、それをしっかり明示するべきだと僕は思う。被選挙権年齢が実現すればおそらく多くの人に影響が及ぶが、その全ての人に対する説明責任をこのウェブサイトは果たせるだろうか。正直言って、到底そうは思えない。

このOPEN POLITICSにおける「ビジョナリーなだけ」問題こそが、先述の「批判より提案を」の悪影響だと僕は解釈している。彼らの主張には、批判(より正確に言えば批判的思考)がない。少なくとも、このウェブサイトからは「被選挙権年齢を引き下げれば、なんか若い世代の声も拾えそうだよね」程度のメッセージしか見えてこない。被選挙権年齢引き下げというイシューは、「本当にそうか?」「本当にそれだけか?」という思考に一体どれだけ晒されたのだろう、と疑ってしまう。率直に言って、ナイーヴすぎる。もちろんこの新たな取り組み自体の価値を否定する訳ではないが、何か新たな枠組みを提示することを優先するあまり、そしてその枠組みが無批判に支持されて膨れ上がってきたために、内部での相互批判と検証のプロセスが十分でないまま世の中に出てしまった印象を受ける。新たな提案をするのは素晴らしいことだが、提案は常に批判によって研ぎ澄まされていくものである。その意味で、この提案は、まだまだ研ぎ澄ます余地が大いにあるように僕には思える。OPEN POLITICSは、G1の「提案」に対して「批判」しないというスタンスが、提案を未熟なまま大きくしてしまった好例だ。

今回は例としてOPEN POLITICSを引き合いに出したが、別にこれだけが悪いわけではない。G1カレッジでは全体として、何かを変えることに意識を向けすぎており、本来生じるべき批判を学生(と社会人)の熱狂的なノリによって覆い隠している印象を受ける。OPEN POLITICSはその象徴として、僕の目には映っている。

 

提案よりも批判を

以上、G1の行動指針における「批判」の軽視、その背景にある「批判」についての誤解、そしてそれが具体的な悪影響を及ぼした例としてのOPEN POLITICSについてそれぞれ語った。最後に、批判についての持論を少し語る。

僕は先日、基地問題を切り口に、論理と価値観の関係性について書いた。ぜひ一読していただきたいのだが、簡単に要約すれば「議論する上でお互いの意見の相違の原因を理解するためには、価値観の相違まで遡って議論しなければならないが、そのためには相互にリスペクトを持ち、お互いがお互いの最高の理解者になろうとする姿勢が重要である」という趣旨である。批判についても、僕は同様に考える。批判する人間は、相手の最高の理解者にならなければならない。批判とは、相手をリスペクトし、相手を理解した上で、相手に欠けているものを指摘する営みだ。さもなくば、批判は表層的な「難癖」になり、「物事に検討を加え、その正否や価値などを評価・判定すること」が不可能になる。「批判」を「難癖」から救済する敬意を忘れてはならない。

これがよくわかるのがジャーナリズムだと僕は考えている。ジャーナリズムとは、社会によって虐げられた人、不利益を被っている人に光をあて、問題として提示し、社会の関心を問題に向ける営みだ。すなわち、ジャーナリズムとは「批判によって社会を動揺させ続けること」だと僕は思っている。しかし、動揺させるために嘘をついてはいけないし、誰かを傷つけてもいけない。良いジャーナリストは、社会を誰よりも深く理解し、当事者に対して敬意を持って接する。その上で、社会の矛盾を指摘し、より良い社会に向けての動きを作り出すのだ。

ここで、重要なことがわかる。それは、批判は必ずしも提案を伴わなくても良いということだ。貧困問題を取り上げたジャーナリストに対して「じゃあお前は貧困問題を解決できるのか?具体的な提案ができなければ黙ってろ!」というのは「難癖」である。社会に対する批判によって、新たに可視化される問題があり、それは直接的ではないかもしれないが、何かしらその問題解決の前進に寄与している。提案できなければ批判できない世界では、批判が萎縮し、結果として問題提起自体が消滅してしまうという最悪な状況を生んでしまう。世界が変革される時には、まず批判があり、それに伴って提案がある。これを決して忘れてはならない。

だからこそ敢えて言おう。提案よりも批判を。その場のノリと熱狂で生まれる空疎な提案より、緊張感ある対話と絶えざる思考による批判を。物事の問題を正しく見極め、社会を動揺させる批判を。意義ある提案は、意義ある批判からしか生まれない。だからこそ、創造と変革の志士にまず求められるのは、この批判的精神ではないだろうか。提案よりも批判を、批判からの提案を、今後のG1カレッジに期待したい。

ここまで読んでいただいた読者の方々はお分かりかと思うが、これもまた一つの「批判」である。甘い部分や認識不足も多々あるかと思われるが、それに気づいた場合はぜひこの記事を「批判」していただきたい。その「批判」の雰囲気こそがこの記事の望むものである。直接的か間接的かは問わず、この記事によってG1カレッジのコンセプトや運営方法についての活発な議論が巻き起こり、結果としてG1カレッジのこれからに寄与することになれば、「批判」の重要性を説いた筆者として望外の喜びである。

基地問題から考える論理と価値

M君の語る沖縄

先日、留学帰りの僕とぜひ話したいということで後輩のM君が声をかけてくれた。渋谷のマクドナルドで語らう僕らはきっと高校生に見えたに違いない。今日はその時の話をする。詳細は伏せるが、M君は友人と共に沖縄に行き、基地問題について多くの人に意見を聞いたらしい。その経験を踏まえて、M君は以下のような感想を抱いたようだ。

「基地反対派の運動家は理想ばかり語っていて理性的じゃない。客観的に見て、彼らの意見は説得力がない。一方で、基地を認めた上で現実的に対応しようとする人たちの意見には心から共感できた。」

まず、僕は沖縄の基地を訪れたことはないし、基地問題の当事者に話を伺ったこともない。なので、実際に誰がどのようなことを言ったのかについては全くわからないことをここで断っておく。加えて、基地問題についての僕の持論をここで展開するつもりもない。ここで行いたいのは、M君の感想の中に隠れた前提を丁寧に洗い出す作業である。

 

理想とは。現実とは。客観的とは。

あらゆる主張を考える時には、まず初めにそれを構成する言葉がどのように使われているかを考えなけれればならない。では、M君の主張における「理想」「現実」「客観」とはなんだろうか。M君の言葉を借りつつ考える。まず、「理想」とは、米軍基地がなくなり安全保障の課題も解決される状態である。これができれば確かに理想的である。しかし、M君はそれは実現不可能だと考える。「現実」とは、安全保障上の課題をクリアしつつ、段階的に基地機能を縮小していくことだそうだ。反対派には具体的なプランがない、あるいは実現がほぼ不可能であるのに対し、容認派には具体的なプランがある。「客観的な判断」とはおそらくそういうことだろう。M君曰く、両者をフラットに価値中立的に見た時に、容認派の方が筋が通っていると判断したそうだ。

この判断の結果についての反論はない。しかしその前提となる部分である判断の根拠については一考の余地があるように思える。M君が容認派に共感したのは、果たして容認派が理性的で、反対派が理性的でなかったからなのか。おそらくそれは違う。M君の価値観が、反対派のそれより容認派のそれに近かったのだ。

具体的に説明する。容認派と反対派の考え方は、結局は価値観の優先順位の差異に過ぎない。容認派の多くは政府や自衛隊の関係者である。彼らは職務として、国益を最優先に考える必要がある。国全体の利益を最大化する政策が彼らにとって良い政策なのだ。つまり、簡単に図式化すれば日本(国益)>沖縄(生活)なのだ。

一方、反対派は地元の活動家の方々が多い。彼らは実際に基地によって生活の一部が妨害された人々や、その支持者である。彼らの要求することは、自分や自分の大切な人の平穏な生活を守ることであり、様々なリスクの原因たる米軍基地はその生活を脅かしうるものだ。同様に図式化すれば沖縄(生活)>日本(国益)なのだ。

論理は時に積み木に例えられる。正しい論理構成とは、正しく積み木を積む作業と近しいものがある。それに乗っかって誤解を恐れずに例えれば、価値観とは積み木を積む土台となるものだ。価値観の対立は論理では対応できない。論理的推論によって導かれる最善の価値観など存在しない。なぜなら、価値観は論理に先立つものだからだ。例えば、イヌとネコどちらが好きかは価値観である。ネコが好きな人にイヌが優れている理由を論理的に述べれば、世界のネコ好きはイヌ好きに寝返るだろうか。もしかしたら何名かは意見を変えるかもしれない。しかし大多数はそのままだろう。なぜなら、イヌとネコどちらが優れているかなんて論理的には判断できないことだからである。イヌとネコという例えが嫌いなら、自由と平等でも保守とリベラルでも好きな言葉を代入していただきたい。

M君の話に戻ろう。彼は首都圏出身であり、外交官志望であることもあってか、国益を優先すべき、という価値観を強固に内面化していた。そのような視座に立てば、当然同じ優先順位を持つ人々の意見は理性的に、異なる優先順位を持つ人々の意見は非理性的に聞こえる。それ自体は誰しも起こりうることなので仕方ない。問題は、そのことを彼が全く自覚していなかったところにある。彼は自分が論理的な存在であり、それ故に価値中立的な存在であると思っていた。その結果、価値観の相違から来る違和感を、全て相手の「非論理性」「非理性性」として解釈してしまっていたのだ。

 

議論する相手の一番の理解者たれ

異なる意見に違和感を覚えるのは当然である。問題は、その原因が価値観の相違(M君の場合は日本と沖縄の優先順位の違い)であるということに気づき、相手がなぜそのような価値観を抱くに至ったのかをお互いに問い合うことである。それは、互いに相手を理解するために全力を尽くし、議論することのできる土俵はどこかを二人で共に探す営みである。

ここでわかるように、議論とは相手への最大限のリスペクト無くしては成立しない。なぜなら、互いの価値観を理解しようとするには相互に信頼がなければならないからである。自分たちの意見の相違の源泉を探り当てることは、どちらか一方だけでできることではない。ましてや、価値観の相違に無自覚で、相手の意見を「理性的でない」と切って捨てるような人間を前にして、果たして相手はお互いの価値観をぶつけ合おうと思えるだろうか。沖縄まで行った彼の行動力は賞賛するが、論理の価値中立性に対する無批判な信頼と、その認識に対する無自覚さ故に、彼はたくさんの機会を損失したことだろう。

さらに、沖縄のケースで言えば、沖縄>日本と考える人が沖縄市民なのに対して日本>沖縄と考える人は行政や軍人である。すなわち、ここで既に権力的な非対称がある。後者は直接的決定権を握っているが、前者は選挙によって間接的な意思表示をすることができるのみである。その両者が対話する際には、権力側にある人間は、この非対称性についてはっきりと意識した上で語らねばならない。例えば、反対派が理想論ばかり語るのは、彼らにできることは政府方針の変更を求めることであり、現実的な側面ばかり重視すれば政府側に取り込まれてしまうと考えるからではないか。そうすると彼らは自覚的に理想論を強調しているのかもしれない。これはあくまでも一例だが、このような想像力なくして、立場の異なる相手との対話は難しいだろう。マクドナルドでの対話を経て、M君もこれらについて自覚的に考えてくれるようになると思う。彼のこれからの活躍に期待したい。

最後に、高校時代に出場したディベートの世界大会で僕が最も印象に残っている教えを紹介したい。「相手の議論の揚げ足を取るのではなく、相手の議論の一番の理解者となれ。もし相手の立論が至らなければ、補完して完璧にしろ。その上で、それを超える主張ができれば、誰がどう見ても君の勝ちだ。それが最良のディベーターというものだ。」

解説は不要だろう。最良のディベーターになれたかどうかはわからないが、最良の対話者たろうとする気持ちは常に持ち続けていたい。

 

 

 

 

注目する責任について

母校との思わぬ出会い

先日、何の気なしにツイッターを見ていたら、母校の校長先生が書いた論文がシェアされてきた。「謂れのない圧力の中で」と題されたこの論文はツイッター上で爆発的にシェアされた。特に知識人層を中心に、校長の毅然とした対応を賞賛する声が多かったように思う。しかし聞いた話によれば、この文章は随分前に校長先生が個人名で同人誌に書いたものであり、現在はこのような嫌がらせは沈静化しているという。ではなぜ、今になって、これほど爆発的にこの文章がシェアされたのか。

 

黒塗りと付箋

少し調べてみると、どうやら2017年7月30日に放送された「MBSドキュメンタリー映像'17 教育と愛国~いま教科書で何が起きているのか」が事の発端であるようだ。以下、MBSドキュメンタリー'17公式ページより引用。

「善悪の判断」・「礼儀」・「国や郷土を愛する態度」…20以上の徳目がずらりと並びます。
それらを学ぶための読み物、それが「道徳」の教科書です。来年度から小学校で導入される「特別の教科 道徳」は、これからの時代の教育の要とされています。2020年度に全面実施される新教育課程には「道徳教育は学校の教育活動全体を通じて行われる」とあり、まさに戦後教育の大転換といえます。
しかし、教育現場では賛否が渦巻いています。その背後では教科書をめぐって、文部科学省教科書検定や採択制度が、政治的介入を招く余地があるとの懸念の声があがっています。これまで歴史の教科書では、過去に何度もその記述をめぐり激しい議論が起きてきました。「もう二度と教科書は書きたくない」と話す学者がいます。「慰安婦」の記述をきっかけに教科書会社が倒産することになった過去の記憶が、いまも生々しく甦ると学者は重い口を開きます。一方、いまの検定制度のもとでの教科書づくりは、何を書き何を書かないか、まさに「忖度の世界」と嘆く編集者もいます。さらに学校現場では、特定の教科書を攻撃するハガキが殺到するような異常事態も起きています。
教育の根幹に存在する教科書。歴史や道徳の教科書を取り巻く出来事から、国家と教育の関係の変化が見えてくるのではないだろうか。教科書でいま何が起きているのか。これまで表面に出ることがなかった「教科書をめぐる攻防」を通して、この国の教育の未来を考えます。

この番組ではいくつかの論点が取り上げられていたが、この話題に関係のありそうな範囲で概略を示す。まず、戦時中日本軍が関わった問題として慰安婦を取り上げた結果、保守派から圧力がかかり、倒産に追い込まれた日本書籍という教科書会社が紹介された。その後、暗記ではなく考える歴史を教えることを目指す教員が集い編集された学び舎の教科書が取り上げられる。日本書籍の倒産以降、自粛の雰囲気があった中で、中学校の歴史教科書から消えていた慰安婦の記述を十数年振りに復活させたのがこの教科書だ。学び舎の教科書は難関私立校とされるところで特に導入されている。

問題はここからである。取材部は学び舎採用の学校に取材を申し入れたが、全ての学校から取材を断られた。その理由は学校に送られてくる大量の抗議葉書である。その内容は、匿名でOBを名乗り、反日教育をやめさせるよう求めるものだ。番組はその送り主を取材したのち、ある難関私立高校の校長がこの一件をまとめた教員向けの論文を紹介した。この論文こそが、まさに先ほどの「謂れのない圧力の中で」である。ただし、葉書に書かれた住所を黒塗りで潰し、論文の個人名を付箋で隠すなど、この番組内では一貫して個人名を特定されないような配慮がなされていた。学校名や個人名が特定されることで、この嫌がらせが再燃し、学校に迷惑がかかることに配慮してのものだろう。各校が取材を拒否したのも、おそらく同様の理由である。

 

無駄になった配慮

しかし結果的にこの配慮は無駄になった。この番組が放送された数日後、ジャーナリストの津田大介氏が「灘校の校長の声明文」として先述の論文を取り上げると、それらは瞬く間に拡散された。(タイムラインを見ていた印象では、津田氏がまず先鞭をつけ、その後インテリ層を中心とした人々が次々にシェアしたように思えたが、もしさらなる発信源が別にあれば指摘していただきたい。)

 津田氏のツイートは、あたかも灘校の校長が、現状に危機感を感じ、灘校としての公式声明を発表したかのように思える。しかし、それはミスリーディングと言わざるを得ない。この論文は教員向け同人誌に個人名で投稿された、いわば内部向けのものであり、社会にメッセージが拡散することを望む「声明文」などでは決してない。この論文が番組に取り上げられた際に執筆者と所属校が伏せられていたことからもわかるように、この論文は匿名の発信としての公開が希望されているものだった。それを「灘校の校長」の「声明文」であると解釈した津田氏の引用は、校長のその意図に一部反するものである。これについては、津田氏は後に訂正のツイートをしている。

もちろん、「声明文」だろうが「個人としての寄稿」だろうが、「文章の価値や、投げかけている問題の重さは変わらない」のは疑いがない。変わるのは、その情報の扱い方である。声明文でない以上、この論文が拡散されることによる影響)への対応を全て灘校に放り投げることはできない。これは私見だが、番組内容などを検討してみると、灘校は嫌がらせの再燃などの悪影響を危惧して、実名での取材を拒否したのだろう。津田氏のツイートは、灘校の意図を結果として全て無駄にするものとなってしまった。

 

注目する責任について

しかしこれを全て津田氏に帰責するのはいささか乱暴だ。番組内で取り上げられた論文が、誰もがアクセス可能な状態にあったこと、そして番組の内容を踏まえれば、誰もが灘校についてのことだとわかってしまうことなど、不運な要素がいくつかあったことは否めない。しかし「少し調べればわかる」という状態では、情報は拡散しない。それらをわかりやすい形で提示し、リツイートボタン一つで広げられる状態になって初めて情報は拡散する。世の中に広げるべき価値について、アクセス可能な形で発信する。本来ジャーナリズムとはそういうものである。だから今回も、津田氏は、ジャーナリストとして、自らの職務を全うしただけとも言える。事実、津田氏の問題提起によって多くの人がこの問題に支持を表明した。それによって勇気付けられた人もいるだろう。社会的な価値は、間違いなくあった。しかしそれを根拠に今回の拡散を正当化するのも、また乱暴である。

社会的な問題に向き合う上で、最も尊重されるべきは、その問題に悩まされる当事者である。今回のように、問題が問題として可視化され拡散されることでその問題が再燃しうるという場合においては、情報拡散は問題解決と逆行する可能性さえある。津田氏を含めて、この問題を拡散し意見を表明した全ての人は、善意と誠実さを持っていることは疑いない。それについては一人のOBとして心からの感謝を申し上げたい。しかし、まさにその善意と誠実さによって、苦しめられうる現場があることを想像した人が果たして何名いただろうか。自分の行為が当事者の問題解決と結びついていないのなら、それはたとえ善意であったとしても、肯定されるべきではないと僕は考える。善意と誠実さのある人間にこそ、その善意がどのような結果に繋がるか、まで思考し続けることを求めたい。それこそが本当の意味での「善」であり「誠実」ではないだろうか。

一人一人が発信者となるこの時代において、注目する責任についての想像力の必要性を痛感した一件だった。

「正しい自分史」という暴力

「留学どうだった?」

先日、心から尊敬する友人の一人と語らう機会があった。その帰り際に、印象的な言葉があった。

僕は数ヶ月前に留学を終えたばかりである。だから帰国後の会話は多くの場合、留学について僕が聞かれるという形式になる。しかしその会での話題は専ら相手の現状であり、僕のことについて話す機会はほとんどなかった。それについて冗談半分で言及した時、友人は以下の趣旨のようなことを言った。

 

「留学はどうだった?と聞くことは留学という体験を言語化・固定化させるということ、すなわちそうでない可能性を排除するものであり、時としてそれは暴力的なのではないか。」

 

友人と別れた後、電車の中で、これと似たようなことを考えた時があったのを思い出した。就職活動やインターンの選考におけるエントリーシート(ES)である(ここでいうESとは、就職活動において、企業に自分をアピールするための書類である)。職歴のない新卒学生にとっての一番の力の入れどころは、その中の自己PRだ。「あなたの強みはなんですか」「学生時代最も力を入れたことはなんですか」「あなたが直面した困難はなんですか、それをどう乗り越えましたか」これらの質問に既に食傷気味の読者もいることだろう。あるいは学生時代を思い出して懐かしむ方もいるかもしれない。

 

結論から言えば、僕はESが嫌いだ。より具体的に言えば、ESを書いている時の自分が嫌いだ。ESを書く時、僕は、あたかもその語りが自分にとっての絶対のように装わなければならない。どのように書いても生じうる違和感を黙殺し、相手企業にとっての最良の人材を歴史的に演じなければならない。まだ自分は面接というものをそれほど経験したことがないが、聞いた話では面接はESに基づいて実施されるようである。考えただけで頭が痛い。

 

正しい歴史と慰安婦問題

そんな時、ふと思い出したのが、随分昔に読んだ『ナショナリズムジェンダー 新版』(上野千鶴子)に掲載されている論文「記憶の政治学」における一節である。上野は本論文において、「慰安婦」問題をめぐって、ジェンダー史が提起した方法論的な課題を論じている。上野の主張自体を論じるのはこのブログの目的ではない。少々乱暴かもしれないが、上記の話題に対する補助線として、上野の指摘する「実証史学」と学問の「客観性・中立性」神話についてこのブログで引用したい。

 

上野は、今日(1997年)の「慰安婦」をめぐる問題は、「強制連行はあったか否か」「日本軍の関与を証明する公文書は存在するか否か」という「実証性」の水準で争われているとする。歴史修正主義に基づく「自由主義史観」の支持者は慰安婦の強制連行を示す公文書がないことを根拠に慰安婦問題の存在を否定しており、それに対して良心的な歴史家は「歴史の真実を歪めるな」と反論する。ここで、「歴史的事実というものが誰が見ても寸分違わないすがたで、客観的実在として存在しているかのような史観」を前提としており、上野は「事実」と「現実」を区別することでこの前提を批判する。慰安婦問題にあるのは単一の「事実」(=客観的実在としての歴史)ではなく、日本軍による「慰安婦制度」と被害女性による「強姦」というふたつの「現実」である。その上で、上野はこう主張する。

 

複数の「現実」の間の落差がどれだけ大きくても、どちらか一方が正しく、他方が間違っているというわけではない。ただし権力関係が非対称なところでは、強者の「現実」が支配的な現実になって、少数者に状況の定義を強制する。それに逆らって支配的な現実を覆すような「もうひとつの現実」を生み出すのは、弱者にとってそれ自体が闘いであり、支配的な現実によって否認された自己を取り戻す実践である。(pp.177)

 

企業にとって正しい自分史

ここで、本題に回帰する。人生史は、社会史や政治史以上に「事実」ではなく「現実」によって語られるものである。誰が見ても寸分違わない客観的な自己など存在しない。自分と他人で当然解釈は異なりうるし、自分の中でも、経験をどう解釈するかで多様な「現実」が生まれる。自己認識とは、そのような多様な「現実」の絶え間なき闘争において一時的に発生した動的な平衡状態に過ぎない。

 

その平衡状態に介入するのがESである。ESには書くべきエピソードや、個別の企業にウケのいい特徴が存在する。つまり、それらに相性の良い「現実」が強者の現実として支配的になり、弱者となる「現実」を圧殺する。就職活動では一貫性が重視されると聞く。しかしここでいう一貫性とは内的に醸成されたものではなく、あくまでも志望する企業から外的に注入されるものである。注入された「企業にとって望ましい存在として一貫性を持つべし」という圧力は、多様な現実の平衡を破壊し、単一の「現実」で自分の全てを語り切らんとする。しかしそれが無理だからこそ、我々の中では多様な現実同士の闘争があるのだ。選ぶ側と選ばれる側の権力的な非対称により、学生の自己認識は権力側に勝手に最適化される。結果として、就活生は、権力にとって「正しい自分史」を持った人間に自らを勝手に再教育していく。統治システムとして、これほど優れたものはなかなか存在しないのではないか。

 

就職後に鬱になる人や過労死する人が社会問題になり始めてから随分経つように思う。原因の一つに間違いなく制度はあるだろう。しかし一方で、このような選考プロセス自体が人に与える影響も考慮されるべきではないだろうか。企業にとって最適化した自己認識の不完全性が引き起こす自己矛盾に耐えられなくなれば鬱になるかもしれないし、自己認識を企業と同一化させ過ぎている人ばかりの集団は、過労死のリスクが高い集団である。ここについての推論は厳密ではないが、働きかけそれ自体の影響の有無、そしてその望ましさについての検討も、あっても良いのではなかろうか。

ラルンガルゴンパ旅行記⑥

前回の続きです。未読の方はまず、以下の記事をお読みください。

「ラルンガルゴンパ旅行記①」

「ラルンガルゴンパ旅行記②」

「ラルンガルゴンパ旅行記③」

「ラルンガルゴンパ旅行記④」

「ラルンガルゴンパ旅行記⑤」

これがこのシリーズの最終話になると思います。

 

そして辿り着く

しかし結果から言えば、緊張の糸を巻き直す必要があったかどうかは少し疑問である。というのも、「ワンゼを過ぎればどうにかなる」というAさんの言葉通り、ワンゼ以降はひたすら山道と草原をひた走るだけの道のりだったからだ。既に標高は3000m近くあり、周囲にあるのは背の低い木々だけで、ひたすら見晴らしの良い草原と禿山が続く。すれ違う公安のパトカーに怯えつつも、少しずつ景色を楽しむ余裕が生まれてきた。そうこうしているうちに、タクシーはラルンの入り口に辿り着く。当初は色達を目指していたが、色逹によって余計なリスクを取るよりも、直接五明に行ってしまう方がいいと判断したため、途中で行き先を変更した。とはいえワンゼから色逹に行く道中にラルンがあるので、変更というより途中下車という方が正しいかもしれない。

 

タクシーを降りた僕らの目に飛び込んできたのは、またしても検問だった。五明に入るための、最後の検問。しかし僕らはもう慌てない。最後の検問には、実はかなり開けっぴろげな抜け道があるのだ。検問所向かって左の道には駐車場があり、ここを登って行くと、ラルンの中心部までに行くバスが出ている。これは僧侶が用いるバスだが、一般の観光客も乗ることができる。これに乗って山を登れば、検問を通らずに済むのだ。これからラルンに行く旅行者は参考にしてほしい。わからない場合は、美しい臙脂色の布を纏った僧侶についていけば良い。

 

緩やかな上り坂をバスは進む。その途中に目にしたのは、おびただしい数の重機だ。それらの重機は伝統的な家を壊し、コンクリートのアパートのようなものを建てていた。中国政府は外国人のラルン立入を禁止し、その最中にラルンを開発しようとしているのだろう。

 

滑稽なのは、そのアパートが臙脂色に塗られていたことだ。ラルンは臙脂色の建物が山の斜面いっぱいに広がっているため、絶景として隠れた観光地となっている。おそらく将来的には、ここを観光地として売り出すつもりなのかもしれない。もちろんそれはありのままのラルンではなく、中国政府によって開発され、骨抜きにされ、見世物となったラルンなのは間違いない。

 

僕の脳内に渦巻くそれらの複雑な気持ちは、次の瞬間目に飛び込んできた景色で吹っ飛んだ。バスが、とうとうラルンの中心部に辿り着いたのだ。周囲の高い山々の斜面に、びっしりと並ぶ臙脂色の家屋。そしてその中心で光り輝く黄金の寺院。言葉を尽くせば尽くすほど、あの美しさを言葉にしえない自分に腹がたつ。そんな景色だった。僕らは辿り着いた。チベットの人々が、僕らに見せたかったもの。一時は諦めていた場所。ついに僕らは、ここに来たのだ。その瞬間だけ、中国とか公安とか、そんな小難しいことは全て忘れていた。臙脂色の秘境の中で僕は喜びを噛み締めていた。

 

おわりに

 

さて、これ以降のラルンで見たもの聞いたことを全て話すつもりはない。ラルンの景色の美しさや街並み、寺院の様子や鳥葬などについては、他の旅行ブログが、たくさんの写真とともに僕よりも丁寧に書いてくれることだろう。ここでは、印象的であったことだけをいくつか、簡潔に記しておきたい。

 

まず、ラルンの開発について。一言で言えば、想像以上に進んでいた。街のいたるところで家屋や寺院が壊されており、バスで見たのと同じようなコンクリートの建物に置き換えられていた。成都からラルンまでの道で高速道路を建設していたことから考えても、ラルンは将来的に解放されるのだろう。しかしそれも先述の通り、決して今のラルンではない。成都で出会ったAさんは「今がラルンを見る最後のチャンス。いや、もう遅いかもしれない」と言っていたが、本当にその通りだ。中国政府は、国家の安定と国富の増大のため、チベットを今日も壊し続けているのだろう。

 

そして、僧侶との会話について。僕らはラルンに到着後、寺院のそばの食堂で昼食をとった。お世辞にも美味しいとは言えない味の薄い焼き飯を食べた後、僕らはスマホのメモのテキストで、鳥葬について相談した。日本人だとバレないように、僕らはラルンでは二人きりの時以外は声を発することさえしなかった。

 

鳥葬とは、チベット仏教の葬儀の一種である。チベット仏教では、遺体は魂のない抜け殻に過ぎないと考える。その抜け殻たる肉体を天に送るために、ハゲワシに食べさせるのが鳥葬である。中国では天葬と呼ばれている。チベット仏教では一般人の葬儀として最も一般的な方法だそうだ。ラルンの近くで鳥葬が見られる場所があると聞いたが、なかなか手がかりを見つけることができなかった。

 

すると隣の席に若い僧侶が二人やって来た。やはり現地のことは現地の人に聞くのがベストだろう、と判断し、彼らに鳥葬について聞いてみた。気のいい彼らは詳しく教えてくれた。なんでも、鳥葬を見るためには、一度入り口まで降りて、そこから乗合バスで別の山まで行く必要があるらしい。まだ少し時間があったので、彼らと色々なことを話した。

 

「君らどこから来たの?多分中国人じゃないよね?」

 

 

彼らは柔和な笑みを崩さないまま、こう問いかけて来た。ラルンの中には公安はほとんどいないし、彼らはチベット人である。わざわざ僕らをひっ捕らえて公安に突き出すことはしないだろう。そう判断し、僕は正直に、自分が日本人であることを明かした。

 

すると彼らは、柔和な笑みを満面の笑みに変えてこう言った。

 

「日本人か!よく来たな!ラルンへようこそ!」

 

そこから話はさらに盛り上がった。道中での出来事を聞かせて欲しいと言われ、請われるままに全てを僕は話した。バスの中でのこと、公安のこと、宿のおばさんのこと、タクシーのこと。僕らの共通言語は中国語だったので、翻訳アプリなどを介しつつ、身振り手振りでコミュニケーションをとった。ここに来るまでに、チベットの人にお世話になった。そのことに感謝したいと彼らに伝えると、彼らはアプリにこう打ち込んだ。

 

「我们西藏人很喜欢你们日本人。我们不像汉族人那样讨厌你们」

(僕らチベット人は君ら日本人が大好きなんだ。僕らは君たちを嫌う漢民族とは違う。)

 

日本は中国と同じ大国であるにも関わらず、日本は自由な国だと聞いている。中国政府がチベットの人々の暮らしを破壊している今、中国のことが好きなチベット人は多くない。逆に、中国に支配されることなくいち早く自由で民主的な先進国となった日本を僕らはリスペクトしている。チベット人として、日本から来た友人を心から歓迎したい。君たちをラルンに連れて来てくれた宿屋のおばさんやタクシーのおじさんも、きっと僕らと同じ気持ちだったと思う。日本人が好きだし、日本人に僕らの今を知って欲しい。だから、日本に帰ったら、一人でも多くの人にチベットで見たものや聞いたものについて伝えてくれないだろうか。それが僕らにとって、何よりの恩返しになる。

 

多少の不正確さはあるかもしれないが、彼らの言葉を要約すると、このような内容だったと記憶している。宿屋のおばさんも、タクシーのおじさんも、そして僧侶のお兄さんも、日本人である僕をリスペクトしてくれているし、また期待している。権力に面と向かって抵抗できなくても、このような小さな小さな面従腹背を続けることで、きっと何かが少しずつ変わるんじゃないかと。僕は、その祈りを託された一人なのだ。

 

若い僧侶たちはその後僕らをタクシー乗り場まで案内してくれた。乗合タクシーに揺られながら、僕は決意した。ブログをまた始めよう。書かねばならぬことがこの世界に溢れている。たとえ拙かろうとも、彼らの祈りを、僕は受け止めたい。書きたいという気持ちが、抑えられなくなった。それから一ヶ月、僕はラルンについての文章を書き終えようとしている。

 

臙脂色の秘境に生きる、勇気ある市民の小さな叛逆。図らずも僕はその当事者になった。これもまた何かの巡り合わせなのかもしれない。いつかまたラルンを訪れた時、お世話になった名も知らぬチベットの人々に胸を張って報告できるような人生を歩みたいと僕は強く思う。この気持ちをずっと持ち続けていたいと思うし、持ち続けられたなら、きっと僕は自分の人生を誇ることができるだろう。チベットの山奥にあったのは、息を飲む絶景、そして、青臭い信念の原型だった。

 

おしまい。

ラルンガルゴンパ旅行記⑤

前回の続きです。未読の方はまず、以下の記事をお読みください。

「ラルンガルゴンパ旅行記①」

「ラルンガルゴンパ旅行記②」

「ラルンガルゴンパ旅行記③」

「ラルンガルゴンパ旅行記④」

こんなに長くなるとは…

 

急展開

2017年7月3日。起きたのは6時半を少し過ぎたあたりだったと思う。寝て起きたら観音菩薩が僕らをラルンに連れてってくれていると思ってたのに、なんて軽口を叩きながら準備をし、宿を出て、バスを待つ。道沿いで何か食べようと思ったが、朝はどの店もしまっていた。バスの休憩場所で何か調達しなきゃな、昨日パンを一つ残しておいてよかったな、そういえば行きのバスで隣の人が食べてた桃はうまそうだったな…こんな危機感のないことばかりを考えられるのは数十時間ぶりだった。早くバスに乗って、成都に帰って、パンダでも見に行こう。東チベットにある体を離れて、頭は一足先に公安のいない成都に到着していた。

 

7時半の少し前、例の宿のおばさんが僕らを迎えに来る。この国では物事が定刻前に進むのは珍しい。もしかしたらおばさんは公安から依頼された僕らの監視役なのかもしれない。きっとバスに乗り込む所まで確認して、公安に確認するんだろうな。そんなことをぼんやり思いながら、宿を出る。するとそこに待っていたのは、ここに来る時に乗ってきた大きなバスではなく、小さなタクシーだった。

 

僕はげんなりした。勘弁してくれ。ここまで来る道はバスであってもかなり揺れる悪路である。ましてやこんな小さなタクシーだったら、どれほど揺れることになるのか。これは車内で寝るどころじゃないかもしれない。それに個人タクシーだったら成都までいくらかかるかわからない。公安め、最後に嫌がらせかよ。あいつら昨日は同じバスで帰るって言ってたじゃないか…僕の心は、公安に対するイライラが支配しようとしていた。次の瞬間のおばさんの言葉がすぐには理解できなかったのは、きっとそのせいだ。

 

チュースァダァ!」

「…は?」

チュー、スァ、ダァ!!」

 

チュースァダァ、という言葉が頭の中で踊る。それは数秒の時間をかけて、僕の脳内でゆっくり簡体字と接続する。チュースァダァ、去色达。つまり、色逹に行け。こうおばさんは言っている。相変わらずにこりともせず、しかし昨日とは違う、少し熱を帯びた言葉で僕らに行けと言っている。

 

突然の展開に頭がついて行かなかった。数秒の思考停止を経て、一気に頭を再起動する。どうやらおばさんは、僕らを成都に送り返すのではなく、色逹に連れて行ってやろうとしているらしい。そのためバスが来る少し前にタクシーを呼んでくれたようだ。よく考えてみればタクシーは検問所の方を向いている。運転手はチベット系の顔をしている。ここに至ってようやく理解した。もしかして、おばさんが用意してくれたタクシーは、僕らをラルンに連れて行ってくれるのではないか?

 

M君もほぼ同時に理解したらしい。しかしこれは僕らにとってあまりに思いがけないことだったため、喜びはまだはるか後方にいた。相変わらず無愛想な態度を貫くおばさんに急かされるままに荷物を乗せ、車に乗り込み、挨拶もそこそこにタクシーは出発する。おばさんは宿の方向に帰っていく。その時、おばさんの白い歯がちらりと見えたような気もしたが、それは気のせいかもしれない。

 

通過

タクシーにはチベット仏教の高僧の写真や仏具らしきものがたくさん飾られていた。この人はおそらく敬虔なチベット仏教徒なのだろう。そんなことを思っている間にタクシーは、検問所にまっすぐ向かっていた。ああ、これは本当にラルンに向かうつもりだ。今からでもおばさんにありがとうと言いたい。まだ間に合う。叫べばきっと聞こえる。そう思って後ろを振り返ろうとした瞬間、ドライバーから指示が飛ぶ。

 

「これから公安のゲートを通過する。外から目視できない所まで頭を下げろ。」

 

慌てて僕は、膝に胸を押し付けるような体勢になる。頭をこれでもかと下げて、じっと目をつぶった。その後どれくらいの時間がたっただろうか。今度は少し優しい声で、ドライバーが僕らに告げる。

 

「頭をあげていいよ。もう大丈夫だ。」

 

ゆっくりと頭をあげる。ゲートをくぐるかくぐらないかで、見える景色が大きく変わるはずがない。しかし僕には、空気の色さえも数分前と違うような気がした。とうとう来たのだ。外国人立入禁止区域である色逹郡に、僕らは入れたのである。最大の関門を、想像さえもしていない方法で通過したのだ。予想外のことこそ旅の醍醐味、とはよくいう言葉ではあるが、本当に予想外のことが起こった時、それも、諦めかけていた場所へのアクセスが、全て他力によって可能になった時のあのふわふわした感覚はきっと生涯忘れないだろう。

 

宿のおばさん、そしてタクシードライバーのおじさんがなぜここまでリスクをとってくれたのかはよくわからない。公安のすぐ近くで商売をするおばさんにとって、公安との関係性は何よりも重要なはずだ。しかしおばさんは、見ず知らずで言葉も通じない日本人二人を、ラルンに連れていくという決断をした。タクシードライバーのおじさんも、僕らを後部座席に隠して、「密入国」の手引きをした。

 

この地で暮らす人々にとって、公安に目をつけられるということがどれほど大きなことかは僕らには想像もできない。成都でさえ、色逹行きのチケットを探していた時に、僕らに腫れ物に触るような態度をとった人もいた。それは彼らの人間性の問題ではなく、きっと公安を刺激するようなことを手引きしたくないというリスク回避の気持ちがあったのだろう。バスの中で僕らを日本人だと口々に告発した乗客も、きっと似たような心理だったに違いない。むき出しの権力が生活を脅かしうる存在としてそばにある時、きっと大多数の人は必然的に権力に従順になるのだ。旅行中そのような現場に立ち会うたびに、それを外国人という立場から批判することは決してするまいと思っていたし、彼らの判断を尊重しようと思っていた。だからこそ、宿のおばさんとタクシーのおじさんの行動には驚かされた。信じられなかった。特に宿のおばさんは、公安に僕らを任せられるくらい信頼されている存在である。しかし彼らは権力のすぐそばで、一見権力に従順なように見せかけつつ、影で小さな抵抗を続けていた。その面従腹背に、僕らは救われたのだ。それがなぜかを知るのはここから半日ほど先のことである。

 

僕は急いで一度緩めた緊張の糸を張り直す。ここからまた、公安とのかくれんぼが始まるのだ。それと同時に、義務感のようなものがむくむくと湧いてきた。理由はわからないが、宿のおばさんやタクシーのおじさんは、賄賂も何もないのに、なぜか僕らにラルンを見せようとリスクをとってくれている。その答えは、きっとラルンにあるに違いない。ラルンに辿り着けなければ、彼らの思いまで無駄にしてしまう。彼らの行為に応えるために、僕はラルンをこの目で見ねばならない。その思いに至った瞬間、ラルンは僕にとって「行きたい場所」から「行かねばならぬ場所」になった。

 

続く。