思記

よしなしごとをそこはかとなく

「泣き寝入り」という救済

とある青年の物語

それはよく晴れた夏の終わりのサンクトペテルブルクでのことだった。ネフスキー大通りを進み、モイカ川にかかる橋を渡っていたその時、雑誌売りの男が青年の右側から近寄ってきた。その男は手に持っていた雑誌を強引に押し付けてくる。閉口した青年は両手で雑誌をはらい、男を無視して橋を渡った。

目的地は橋を渡ってすぐのところにあるカフェである。扉の前で何の気なしに肩がけカバンに手をやる。なぜかチャックが空いている。驚いてカバンに目をやると、黒々としたカバンの内側だけが目につき、そこにあったはずの財布が無くなっていた。やられた。すられたのである。

おそらくすられたのは橋の上だ。雑誌売りの男はグルだったのだろう。雑誌を押し付けて右側に注意を向けておき、左側からカバンのチャックを開けて、財布を盗む。かなり手馴れていないとできない盗みである。サンクトペテルブルクはロシア屈指の観光地なので、彼らは観光客を狙ったプロの窃盗コンビ、あるいはグループなのかもしれない。

盗みに気づき青年は激しく動揺した。財布にはかなりの金額が入っていた。普段の旅では財布は当然複数所持し、それぞれ服の内側など取られにくいところに入れている。しかし今回は完全に油断していた。友人との旅だったからだろう。海外に行く時に持っておくべき警戒心が明らかに薄かった。それは薄々感づいていたことであり、しかし自分ではどうしようもないものでもあった。そのしっぺ返しを、最悪の形で食らってしまったのだ。

しかし動揺しても何にもならない。緊急時こそまず落ち着くべきなのだ。不自然に高鳴る鼓動を抑えるように何度も深く呼吸しながら、まずは領事館に赴き、電話を借りてカードを止めた。そして領事の方と今後について相談する。海外で窃盗被害にあった場合は地元の警察に被害届を発行してもらうのが一般的であるが、ロシアの警察は対応が悪く、当然英語も喋れない。通訳を雇う費用や待ち時間などのコストを考えれば、被害届を申請しない方が賢明であるという。保険会社に問い合わせても、すられた財布自体の補償はあるがその中身については補償できないらしい。これらを検討し、結局青年は被害届を出さなかった。

さて、想像してみてほしい。被害届を出さなかった青年はどのような気持ちだったろうか。青年は大金を盗まれたのにも関わらず、被害届を出さなかった。つまり青年は泣き寝入りしたのだ。彼の心中にあったのは「悔しさ」か「悲しさ」か、いずれにせよネガティヴな感情だと推察する人が多いのではないだろうか。僕もきっとそう思うだろう。サンクトペテルブルクで財布をすられる前までの僕ならば。

とっくにわかっていた読者も多いかと思うが、この青年とは僕のことである。上記の文章にフィクションはない。僕はサンクトペテルブルクで財布をすられた。くたびれたセピア色の財布は、今は中身を全て抜かれて、ユーラシア大陸のどこかに打ち捨てられているに違いない。

さて、被害届を出さなかった青年、つまり僕の気持ちに戻ろう。この時の感情を一言で表せば、それは「安心」だった。読者の中に、正解者はいただろうか。

教訓化による過去化と切断

なぜ僕は、被害届を出さずに済んだことに「安心」したのか。これを理解するためには、当時の僕の内面を丁寧に見ていく必要がある。領事館で被害届について相談するまでに、既に僕はかなりの精神的なストレスに苛まれていた。なぜカバンを前で持っていなかったのか。なぜ外国であんなに油断してしまったのか。なぜ一つの財布にあれほど大金を入れてしまったのか。窃盗に気づいた瞬間から、僕は自分を責め続けた。確かに相手は巧みな方法でカバンから財布を盗み出した。とはいえ、海外旅行における当然の警戒を怠っていなければ、防ぐことは決して不可能ではなかった。アフリカや南アメリカをバックパックを背負って旅した時と比べて、ロシアでの僕は明らかに無防備だった。

当時の僕は、ひたすらに湧き上がってくる自責の念がとても耐え難く思えて、早く過去にしたくて仕方なかったのだろう。僕は次のように理由づけをしていた。「財布をすられたのはひとえに自分の慢心のせいである。慢心していた自分は財布をすられても当然である。甘んじて受け入れて教訓とすべし。」つまり、窃盗を一種の訓話とすることで「勉強になった。以上。」というように自分の中でこの一件にピリオドを打とうとしていたのだ。すられたことを思い出すたびに、自責の念が込み上げてくる。それを教訓として回収することで、すられたことを過去として切断し、前を向こうとしているのだ。我ながら健気なことである。

そのような心理状態にあった僕が最も恐れていたのは、教訓として処理したはずの過去が別の語りによって現在に復活することである。例えば「悪いのはあなたじゃなくて犯人だ」のように訓話の構造を解体する発言や、「被害届を提出して可能性に賭けましょう」のようにその問題に向き合い続けることを求める発言が何よりも怖かった。それらは結果的に、過去として切断したはずの悪夢を現在に再接続させてしまう。結果として、なんとか追いやったはずの自責の念に、僕はまた苦しめられてしまうことになるのだ。彼らが僕を気遣って言ってくれているのがわかる分、心苦しさも募る。

だから「諦めなさい」という言葉で僕は安心したのだ。もちろん財布をすられたことは残念だし、被害金額も大きいのでとても悲しく、悔しい。しかしそれが帰ってくる可能性は極めて低いし、万が一帰ってくるとしても相当面倒なプロセスを踏まねばならない。そのプロセスの間中、僕は現在の問題として自責の念と戦わねばならない。その負担を考えれば、ここで物事を「過去」にできることに安心したのだ。安心している自分に驚く自分もいたが、本当に安心したのだから仕方がない。

この心の動きは、アンナ・フロイト防衛機制カテゴリーにおける「合理化」プロセスとして位置付けられるだろう。受け入れがたい現実に直面した際、それ自体の衝撃もさることながら、それを位置付けられない苦しみも同時に発生する。その後者の苦しみを解消するために、「慢心していた自分が悪い」というように自分の中に損害の根拠を見出し、窃盗被害は「合理的」結論であるとみなす。僕はこう発想し、戦略的に泣き寝入りすることで、自分の心を救おうと奮闘していたのだろう。

「泣き寝入り」が内包する微妙さ

もちろんこの経験を安易に一般化することは不可能だし、絶対にしてはいけない。一方で、何かしら大きな被害を受けてしまった時、それを自分のせいであると受け止めて合理化することで自分を救うという心の動きもあるのではないだろうか。例えば「泣き寝入りしたくないのに泣き寝入りさせられる」ケースに対する支援は社会をあげて実施していくべきである。一方で、「泣き寝入りすることを救済につなげている」ケースはどうだろうか。

まず大前提として、これ以上ない慎重さが求められていることは言うまでもない。「泣き寝入りによって救済しているんだからほっとくべきだ」という言説自体が泣き寝入りを強いる圧力として駆動する可能性もある。一方で、正義感だけに基づいて被害者の心を置いてけぼりにするような態度をとってしまえば、結果として被害者をむやみに傷つけてしまう可能性もある。

もちろん、泣き寝入りが存在せず、悪事を働いたものが罰せられ、人間の尊厳が正当に保護される社会こそが理想である。泣き寝入りは諦めに基づく消極的な結論であるため、「泣き寝入りという選択肢を認めろ」と主張するつもりは毛頭ない。しかし同時に、その正義感は泣き寝入りという複雑な心理構造に土足で上がり込んでいい理由にはならないだろう。誤解のないように繰り返すが、僕は泣き寝入りを決して肯定しない。しかし泣き寝入りせざるを得ないような心的状態に至ってしまうこともありうる。ゆえに我々は、泣き寝入りという状態の複雑さについてまず理解する努力をすべきであるというのが僕の主張である。

この問題はそれ自体のセンシティヴさから、何か明確なスタンスを示すことが難しい。しかしこれだけは言える。被害者を目の前にして、我々が寄り添うべきは正義感でも理想の社会ビジョンでもなく、目の前の被害者自身である。相手がどのような被害を受け、どのような心理状態であり、どのような解決にどのように進んでいくべきか。一人一人全く違うはずのそれらをひとつひとつ解きほぐし、何よりも被害者自身にとってベストの状態に至れるように全力を尽くす。それこそが「泣き寝入り」に替わる「救済」を担わんとするものの、大前提となるあり方ではないだろうか。