思記

よしなしごとをそこはかとなく

「わからない」のは「難しい」から?

先日、G1カレッジのあり方に対する批判的な投稿をしたところ、様々な方面から様々なリアクションがあった。その過程で思うところがあったので、文章にしたい。これは「様々な」リアクションに対する直接的な回答ではなく、それらを踏まえた上で、今後の回答の方向性を記すものである。

 

なぜ「わからない」が続出したのか

今回の投稿に対する反応は、一見多様なように見えて、実は極めて画一的である。その反応というのは、簡単に言えば、「わからない」だ。コメントの多様性はその言い換えに過ぎない。僕の主張の意図を正しく汲み取った上での応答は、数えるほどしかなかった。これは文章を書く人間として、大いに反省するところである。

なぜこのような反応が生じたのか。それに対する回答として複数の人から挙がったのが「文章が難し過ぎた」である。文章の難易度が相手のリテラシーを超えていたため、彼らはブログの文章を読むことさえできなかった。故にもっと簡単な言葉で丁寧に説明すべきだ。このような主張は多数あった。

もちろん、そのような要素があったことは否定しない。しかし、果たして本当に文章の難易度だけなのだろうか。徹底的に噛み砕けば、このような結果にはならなかったのだろうか。NOとは言わない。しかし同時に、僕はYESだとも思わない。おそらくこの問題は、リテラシーの問題(だけ)ではなく前提の問題である。

 

なぜ塔を建てられないのか

論理を積み木に例えると、議論とは、複数の人間が積み木を積みあって一つの塔を作るプロセスだと言えるだろう。それぞれの設計図を見比べながら、この積み木をどこにどうやって積んでいくかを話し合う行為。それが議論だ。

こう考えると、議論には必要条件がある。それは合意である。合意と言っても様々な合意があるだろうが、ここで特に強調したいのは「どの場所に塔を立てるか?」である。

例えば、あなたが友人のXさんと塔を建てたいとしよう。しかしあなたが必死で積み木を積もうとしているのにも関わらず、Xさんはその積み木を全く別のところに持って行こうとしてしまう。あなたはXさんに対する不信感を強めるだろう。Xさんは何度も何度もあなたの作業を妨害する。結局塔を建てるどころではなくなり、意味不明な行動を繰り返すXさんの人格をあなたは疑い始める。このような状況では、もう塔どころではない。

さて、この不幸は一体どこから生じたのだろうか。バラバラになった積み木の前に神様が降りてきて、なぜこうなったかを両者に聞く。あなたは「Xさんが意味のわからないことをしたから」と言うだろう。しかしXは、「あなたが積み木を運ぶのに全く協力的でなかったから」と言う。よくよく話を聞いてみると、どうやらあなたが塔を建てたかった場所とXさんが塔を建てたかった場所が全く異なることがわかった。Xさんは積み木をそこまで運ぼうとしていたのだが、あなたにはそれが理解できなかった。

「それならそうと言ってくれればよかったのに」

「いや、何度も言ったが聞く耳を持たなかったのはお前じゃないか」

確かにそうだ。あなたは塔をこの場所に建てることを両者が合意していると思い込んでおり、その思い込みから判断して、「Xさんはおかしい。私はXさんを理解できない。」と思い込んでしまった。こう思い込んでしまった瞬間、あなたはXさんの意見を素直に聞くことができなくなる。Xさんの意見を受け入れなくなる。するとXさんも、あなたの意見を素直に聞くことができなくなる。結果として、塔は完成せず、残ったのは徒労だけ。「両者が塔を建てたい場所がずれていたことに両者が気づいていなかった」というたった一つの失敗が、致命的な断絶を生み出したのだ。

 

「前提」の共有を諦めない

少し乱暴だが、これは議論を建築に例えた話だ。「塔」とは「議論のゴール」であり、「積み木」が「論理」であり、「共同建築作業」が「議論」である。そして、この「塔を建てたい場所」が「前提」と呼ばれるものだ。この例え話は「前提」の重要性を示唆している。

「前提」とは「議論のスタート地点における合意」である。デカルトを引用するまでもなく、議論をするためには、所与のものとして両者が無条件に認めなければならないものがある。それが「前提」である。

例えば、乱暴な具体例であることは百も承知で、「有村架純武井咲はどちらが可愛いか」という議論をすることを考えてみよう。あなたは有村架純だと思い、Xさんは武井咲だと思ったとする(逆でも構わない)。この時、あなたはXさんと合意することはおそらく不可能である。なぜなら、「可愛い」とは何かということについて合意できていないからだ。だからまずあなたがXさんと議論すべきは「可愛いとは(少なくともこの場において)どういう意味か」である。例えば「可愛いとは妹を思わせるような柔らかな愛らしさである」という合意ができて、初めてあなたはXさんと有村架純武井咲はどちらが可愛いか」について議論できる。それぞれが出演するドラマや映画を見た上で、どちらが「可愛い」の基準に合致しているかどうかを二人で判断して検討することができる。このような議論こそが、意味のある議論である。

この「前提」が共有されていない時、どのような言葉で語ろうとあなたとXさんは対話できない。なぜなら、「前提」は語られないからである。だから対話が断絶したと感じた時、まずあなたがすべきことは、Xさんに対する説明を平易な言葉で述べることではない。もちろんそれもすべきかもしれないが、それは副次的なものでしかない。まずすべきは、「両者が同意しているところはどこまでで、どこで相違点があって、それは何によるものか」を明るみに出す作業である。僕はこれを行いたいと思う。少し時間がかかるかもしれないが、お待ちいただけるとありがたい。