思記 / @southwisteria の日記

流れに逆らう舟のように

ラルンガルゴンパ旅行記⑥

前回の続きです。未読の方はまず、以下の記事をお読みください。

「ラルンガルゴンパ旅行記①」

「ラルンガルゴンパ旅行記②」

「ラルンガルゴンパ旅行記③」

「ラルンガルゴンパ旅行記④」

「ラルンガルゴンパ旅行記⑤」

これがこのシリーズの最終話になると思います。

 

そして辿り着く

しかし結果から言えば、緊張の糸を巻き直す必要があったかどうかは少し疑問である。というのも、「ワンゼを過ぎればどうにかなる」というAさんの言葉通り、ワンゼ以降はひたすら山道と草原をひた走るだけの道のりだったからだ。既に標高は3000m近くあり、周囲にあるのは背の低い木々だけで、ひたすら見晴らしの良い草原と禿山が続く。すれ違う公安のパトカーに怯えつつも、少しずつ景色を楽しむ余裕が生まれてきた。そうこうしているうちに、タクシーはラルンの入り口に辿り着く。当初は色達を目指していたが、色逹によって余計なリスクを取るよりも、直接五明に行ってしまう方がいいと判断したため、途中で行き先を変更した。とはいえワンゼから色逹に行く道中にラルンがあるので、変更というより途中下車という方が正しいかもしれない。

 

タクシーを降りた僕らの目に飛び込んできたのは、またしても検問だった。五明に入るための、最後の検問。しかし僕らはもう慌てない。最後の検問には、実はかなり開けっぴろげな抜け道があるのだ。検問所向かって左の道には駐車場があり、ここを登って行くと、ラルンの中心部までに行くバスが出ている。これは僧侶が用いるバスだが、一般の観光客も乗ることができる。これに乗って山を登れば、検問を通らずに済むのだ。これからラルンに行く旅行者は参考にしてほしい。わからない場合は、美しい臙脂色の布を纏った僧侶についていけば良い。

 

緩やかな上り坂をバスは進む。その途中に目にしたのは、おびただしい数の重機だ。それらの重機は伝統的な家を壊し、コンクリートのアパートのようなものを建てていた。中国政府は外国人のラルン立入を禁止し、その最中にラルンを開発しようとしているのだろう。

 

滑稽なのは、そのアパートが臙脂色に塗られていたことだ。ラルンは臙脂色の建物が山の斜面いっぱいに広がっているため、絶景として隠れた観光地となっている。おそらく将来的には、ここを観光地として売り出すつもりなのかもしれない。もちろんそれはありのままのラルンではなく、中国政府によって開発され、骨抜きにされ、見世物となったラルンなのは間違いない。

 

僕の脳内に渦巻くそれらの複雑な気持ちは、次の瞬間目に飛び込んできた景色で吹っ飛んだ。バスが、とうとうラルンの中心部に辿り着いたのだ。周囲の高い山々の斜面に、びっしりと並ぶ臙脂色の家屋。そしてその中心で光り輝く黄金の寺院。言葉を尽くせば尽くすほど、あの美しさを言葉にしえない自分に腹がたつ。そんな景色だった。僕らは辿り着いた。チベットの人々が、僕らに見せたかったもの。一時は諦めていた場所。ついに僕らは、ここに来たのだ。その瞬間だけ、中国とか公安とか、そんな小難しいことは全て忘れていた。臙脂色の秘境の中で僕は喜びを噛み締めていた。

 

おわりに

 

さて、これ以降のラルンで見たもの聞いたことを全て話すつもりはない。ラルンの景色の美しさや街並み、寺院の様子や鳥葬などについては、他の旅行ブログが、たくさんの写真とともに僕よりも丁寧に書いてくれることだろう。ここでは、印象的であったことだけをいくつか、簡潔に記しておきたい。

 

まず、ラルンの開発について。一言で言えば、想像以上に進んでいた。街のいたるところで家屋や寺院が壊されており、バスで見たのと同じようなコンクリートの建物に置き換えられていた。成都からラルンまでの道で高速道路を建設していたことから考えても、ラルンは将来的に解放されるのだろう。しかしそれも先述の通り、決して今のラルンではない。成都で出会ったAさんは「今がラルンを見る最後のチャンス。いや、もう遅いかもしれない」と言っていたが、本当にその通りだ。中国政府は、国家の安定と国富の増大のため、チベットを今日も壊し続けているのだろう。

 

そして、僧侶との会話について。僕らはラルンに到着後、寺院のそばの食堂で昼食をとった。お世辞にも美味しいとは言えない味の薄い焼き飯を食べた後、僕らはスマホのメモのテキストで、鳥葬について相談した。日本人だとバレないように、僕らはラルンでは二人きりの時以外は声を発することさえしなかった。

 

鳥葬とは、チベット仏教の葬儀の一種である。チベット仏教では、遺体は魂のない抜け殻に過ぎないと考える。その抜け殻たる肉体を天に送るために、ハゲワシに食べさせるのが鳥葬である。中国では天葬と呼ばれている。チベット仏教では一般人の葬儀として最も一般的な方法だそうだ。ラルンの近くで鳥葬が見られる場所があると聞いたが、なかなか手がかりを見つけることができなかった。

 

すると隣の席に若い僧侶が二人やって来た。やはり現地のことは現地の人に聞くのがベストだろう、と判断し、彼らに鳥葬について聞いてみた。気のいい彼らは詳しく教えてくれた。なんでも、鳥葬を見るためには、一度入り口まで降りて、そこから乗合バスで別の山まで行く必要があるらしい。まだ少し時間があったので、彼らと色々なことを話した。

 

「君らどこから来たの?多分中国人じゃないよね?」

 

 

彼らは柔和な笑みを崩さないまま、こう問いかけて来た。ラルンの中には公安はほとんどいないし、彼らはチベット人である。わざわざ僕らをひっ捕らえて公安に突き出すことはしないだろう。そう判断し、僕は正直に、自分が日本人であることを明かした。

 

すると彼らは、柔和な笑みを満面の笑みに変えてこう言った。

 

「日本人か!よく来たな!ラルンへようこそ!」

 

そこから話はさらに盛り上がった。道中での出来事を聞かせて欲しいと言われ、請われるままに全てを僕は話した。バスの中でのこと、公安のこと、宿のおばさんのこと、タクシーのこと。僕らの共通言語は中国語だったので、翻訳アプリなどを介しつつ、身振り手振りでコミュニケーションをとった。ここに来るまでに、チベットの人にお世話になった。そのことに感謝したいと彼らに伝えると、彼らはアプリにこう打ち込んだ。

 

「我们西藏人很喜欢你们日本人。我们不像汉族人那样讨厌你们」

(僕らチベット人は君ら日本人が大好きなんだ。僕らは君たちを嫌う漢民族とは違う。)

 

日本は中国と同じ大国であるにも関わらず、日本は自由な国だと聞いている。中国政府がチベットの人々の暮らしを破壊している今、中国のことが好きなチベット人は多くない。逆に、中国に支配されることなくいち早く自由で民主的な先進国となった日本を僕らはリスペクトしている。チベット人として、日本から来た友人を心から歓迎したい。君たちをラルンに連れて来てくれた宿屋のおばさんやタクシーのおじさんも、きっと僕らと同じ気持ちだったと思う。日本人が好きだし、日本人に僕らの今を知って欲しい。だから、日本に帰ったら、一人でも多くの人にチベットで見たものや聞いたものについて伝えてくれないだろうか。それが僕らにとって、何よりの恩返しになる。

 

多少の不正確さはあるかもしれないが、彼らの言葉を要約すると、このような内容だったと記憶している。宿屋のおばさんも、タクシーのおじさんも、そして僧侶のお兄さんも、日本人である僕をリスペクトしてくれているし、また期待している。権力に面と向かって抵抗できなくても、このような小さな小さな面従腹背を続けることで、きっと何かが少しずつ変わるんじゃないかと。僕は、その祈りを託された一人なのだ。

 

若い僧侶たちはその後僕らをタクシー乗り場まで案内してくれた。乗合タクシーに揺られながら、僕は決意した。ブログをまた始めよう。書かねばならぬことがこの世界に溢れている。たとえ拙かろうとも、彼らの祈りを、僕は受け止めたい。書きたいという気持ちが、抑えられなくなった。それから一ヶ月、僕はラルンについての文章を書き終えようとしている。

 

臙脂色の秘境に生きる、勇気ある市民の小さな叛逆。図らずも僕はその当事者になった。これもまた何かの巡り合わせなのかもしれない。いつかまたラルンを訪れた時、お世話になった名も知らぬチベットの人々に胸を張って報告できるような人生を歩みたいと僕は強く思う。この気持ちをずっと持ち続けていたいと思うし、持ち続けられたなら、きっと僕は自分の人生を誇ることができるだろう。チベットの山奥にあったのは、息を飲む絶景、そして、青臭い信念の原型だった。

 

おしまい。