思記

よしなしごとをそこはかとなく

ラルンガルゴンパ旅行記⑤

前回の続きです。未読の方はまず、以下の記事をお読みください。

「ラルンガルゴンパ旅行記①」

「ラルンガルゴンパ旅行記②」

「ラルンガルゴンパ旅行記③」

「ラルンガルゴンパ旅行記④」

こんなに長くなるとは…

 

急展開

2017年7月3日。起きたのは6時半を少し過ぎたあたりだったと思う。寝て起きたら観音菩薩が僕らをラルンに連れてってくれていると思ってたのに、なんて軽口を叩きながら準備をし、宿を出て、バスを待つ。道沿いで何か食べようと思ったが、朝はどの店もしまっていた。バスの休憩場所で何か調達しなきゃな、昨日パンを一つ残しておいてよかったな、そういえば行きのバスで隣の人が食べてた桃はうまそうだったな…こんな危機感のないことばかりを考えられるのは数十時間ぶりだった。早くバスに乗って、成都に帰って、パンダでも見に行こう。東チベットにある体を離れて、頭は一足先に公安のいない成都に到着していた。

 

7時半の少し前、例の宿のおばさんが僕らを迎えに来る。この国では物事が定刻前に進むのは珍しい。もしかしたらおばさんは公安から依頼された僕らの監視役なのかもしれない。きっとバスに乗り込む所まで確認して、公安に確認するんだろうな。そんなことをぼんやり思いながら、宿を出る。するとそこに待っていたのは、ここに来る時に乗ってきた大きなバスではなく、小さなタクシーだった。

 

僕はげんなりした。勘弁してくれ。ここまで来る道はバスであってもかなり揺れる悪路である。ましてやこんな小さなタクシーだったら、どれほど揺れることになるのか。これは車内で寝るどころじゃないかもしれない。それに個人タクシーだったら成都までいくらかかるかわからない。公安め、最後に嫌がらせかよ。あいつら昨日は同じバスで帰るって言ってたじゃないか…僕の心は、公安に対するイライラが支配しようとしていた。次の瞬間のおばさんの言葉がすぐには理解できなかったのは、きっとそのせいだ。

 

チュースァダァ!」

「…は?」

チュー、スァ、ダァ!!」

 

チュースァダァ、という言葉が頭の中で踊る。それは数秒の時間をかけて、僕の脳内でゆっくり簡体字と接続する。チュースァダァ、去色达。つまり、色逹に行け。こうおばさんは言っている。相変わらずにこりともせず、しかし昨日とは違う、少し熱を帯びた言葉で僕らに行けと言っている。

 

突然の展開に頭がついて行かなかった。数秒の思考停止を経て、一気に頭を再起動する。どうやらおばさんは、僕らを成都に送り返すのではなく、色逹に連れて行ってやろうとしているらしい。そのためバスが来る少し前にタクシーを呼んでくれたようだ。よく考えてみればタクシーは検問所の方を向いている。運転手はチベット系の顔をしている。ここに至ってようやく理解した。もしかして、おばさんが用意してくれたタクシーは、僕らをラルンに連れて行ってくれるのではないか?

 

M君もほぼ同時に理解したらしい。しかしこれは僕らにとってあまりに思いがけないことだったため、喜びはまだはるか後方にいた。相変わらず無愛想な態度を貫くおばさんに急かされるままに荷物を乗せ、車に乗り込み、挨拶もそこそこにタクシーは出発する。おばさんは宿の方向に帰っていく。その時、おばさんの白い歯がちらりと見えたような気もしたが、それは気のせいかもしれない。

 

通過

タクシーにはチベット仏教の高僧の写真や仏具らしきものがたくさん飾られていた。この人はおそらく敬虔なチベット仏教徒なのだろう。そんなことを思っている間にタクシーは、検問所にまっすぐ向かっていた。ああ、これは本当にラルンに向かうつもりだ。今からでもおばさんにありがとうと言いたい。まだ間に合う。叫べばきっと聞こえる。そう思って後ろを振り返ろうとした瞬間、ドライバーから指示が飛ぶ。

 

「これから公安のゲートを通過する。外から目視できない所まで頭を下げろ。」

 

慌てて僕は、膝に胸を押し付けるような体勢になる。頭をこれでもかと下げて、じっと目をつぶった。その後どれくらいの時間がたっただろうか。今度は少し優しい声で、ドライバーが僕らに告げる。

 

「頭をあげていいよ。もう大丈夫だ。」

 

ゆっくりと頭をあげる。ゲートをくぐるかくぐらないかで、見える景色が大きく変わるはずがない。しかし僕には、空気の色さえも数分前と違うような気がした。とうとう来たのだ。外国人立入禁止区域である色逹郡に、僕らは入れたのである。最大の関門を、想像さえもしていない方法で通過したのだ。予想外のことこそ旅の醍醐味、とはよくいう言葉ではあるが、本当に予想外のことが起こった時、それも、諦めかけていた場所へのアクセスが、全て他力によって可能になった時のあのふわふわした感覚はきっと生涯忘れないだろう。

 

宿のおばさん、そしてタクシードライバーのおじさんがなぜここまでリスクをとってくれたのかはよくわからない。公安のすぐ近くで商売をするおばさんにとって、公安との関係性は何よりも重要なはずだ。しかしおばさんは、見ず知らずで言葉も通じない日本人二人を、ラルンに連れていくという決断をした。タクシードライバーのおじさんも、僕らを後部座席に隠して、「密入国」の手引きをした。

 

この地で暮らす人々にとって、公安に目をつけられるということがどれほど大きなことかは僕らには想像もできない。成都でさえ、色逹行きのチケットを探していた時に、僕らに腫れ物に触るような態度をとった人もいた。それは彼らの人間性の問題ではなく、きっと公安を刺激するようなことを手引きしたくないというリスク回避の気持ちがあったのだろう。バスの中で僕らを日本人だと口々に告発した乗客も、きっと似たような心理だったに違いない。むき出しの権力が生活を脅かしうる存在としてそばにある時、きっと大多数の人は必然的に権力に従順になるのだ。旅行中そのような現場に立ち会うたびに、それを外国人という立場から批判することは決してするまいと思っていたし、彼らの判断を尊重しようと思っていた。だからこそ、宿のおばさんとタクシーのおじさんの行動には驚かされた。信じられなかった。特に宿のおばさんは、公安に僕らを任せられるくらい信頼されている存在である。しかし彼らは権力のすぐそばで、一見権力に従順なように見せかけつつ、影で小さな抵抗を続けていた。その面従腹背に、僕らは救われたのだ。それがなぜかを知るのはここから半日ほど先のことである。

 

僕は急いで一度緩めた緊張の糸を張り直す。ここからまた、公安とのかくれんぼが始まるのだ。それと同時に、義務感のようなものがむくむくと湧いてきた。理由はわからないが、宿のおばさんやタクシーのおじさんは、賄賂も何もないのに、なぜか僕らにラルンを見せようとリスクをとってくれている。その答えは、きっとラルンにあるに違いない。ラルンに辿り着けなければ、彼らの思いまで無駄にしてしまう。彼らの行為に応えるために、僕はラルンをこの目で見ねばならない。その思いに至った瞬間、ラルンは僕にとって「行きたい場所」から「行かねばならぬ場所」になった。

 

続く。