思記 / @southwisteria の日記

流れに逆らう舟のように

ラルンガルゴンパ旅行記④

前回の続きです。未読の方は以下の記事からまずはお読みください。

「ラルンガルゴンパ旅行記①」

「ラルンガルゴンパ旅行記②」

「ラルンガルゴンパ旅行記③」

 

検問室にて

道沿いの検問室には10名弱の公安がいた。彼らは皆黒ずくめの服装をしており、ぎょろりとした目で僕らを睨む。口々に何かを叫ぶ。そのほとんどは聞き取れない。この時点で、彼らは僕らが中国人ではないことをほとんど確信していたように思う。しかし彼らも中国語以外を話せないようだ。

 

僕らは、相手の言葉がわからないことに漬け込んで、だらだらとパスポートの提示を渋っていた。と言っても勝算があったわけではない。むしろ逆である。僕としては、このまま粘ればあわよくば、という希望はこの段階でほとんど捨て去っていた。そもそも足がない。僕らを降ろしたバスは既に影も形も見えない。万が一この検問を何かの拍子に通過できたとする。そのあとはどうする?ここからバスで二時間以上ある場所に、歩いて行くことなどできるはずもない。既に夕方で、太陽光線は山のてっぺんをかすめようとしている。僕らの粘りは、その先に何かがあるものではない。ただ単に、こんなにも簡単に、あっさりと、想像していた最悪のケースが目の前に展開されるリアルを受け入れるだけの時間が欲しかっただけなのだ。

 

 とうとう僕らはパスポートを出す。公安はひったくるようにパスポートを取ると、僕らのパスポート番号と顔写真を記録し始めた。僕はぼんやりした頭で昨晩のAさんの話を思い出す。そういえば捕まるとパスポートの記録に取られてブラックリストに載るらしい。そうか今まさにそのプロセスなのか。しかしその行為のリアリティを理解するには、当時の僕の頭は元気がなさすぎた。恐怖や不安もまた、感じるのにエネルギーがいるのだ。

 

パスポートを返却されると、公安がまた何か中国語でまくし立てる。しかし今度の彼らの口調は、先ほどの糾弾するようなそれとは少し異なり、何かを指示するようなものだった。しかし僕らは聞き取れない。すると公安の一人が気を利かせて、旅行者の女性を連れてきた。その女性は香港人らしく、英語が話せた。僕らはその女性に通訳をお願いし、公安と初めてまともな会話をした。

 

内容を要約するとこんな感じである。

「ここは中国政府の方針で外国人は入れない。しかしここに放置するわけにもいかない。今回は1回目だし、お前らはどうやらこのことを知らなかったようなので(著者注: アピールの甲斐があったというものだ)、我々はお前らを成都に送り返すことにする。しかしもう夕方なので交通手段がない。なので我々が手配する近くの宿に一泊して、明日の早朝にこれも我々が手配するバスに乗って帰れ。値段はそれなりに安いから充分支払えるだろう。了承したらこれからお前らをパトカーで宿まで送る。」

 

想像よりもずっと優しい。僕の想像では、それこそパトカーにぶち込まれて有無を言わせず成都まで送り返されるか、途方も無い罰金を取られるか、いずれにせよ帰るまでのプロセスの全てを向こうが手配してくれるとは想像していなかった。まあ公安からすれば、ラルンに行きたい外国人を検問付近で解き放てば何をするかわからない。そしてこれは後ほど実感したことだが、そもそも色達から外国人を締め出してほとんど強制的な開発をするのは中国としては後ろ暗いことである。ここで苛烈に取り締まって反感を買うよりも、穏便に帰っていただきたい。どこまで当たっているかどうかは定かでは無いが、IDチェックの前後での態度の若干の変化から、そのような公安の意図を感じた。

 

しかしいくら優しいとはいえ、僕らに選択肢はない。そもそも拒否権がないし、仮に拒否できたとしてもこんな山の中ではどうしようもない。僕らはパトカーに乗り込んだ。外国でパトカーに乗るのは人生で2回目だ。1回目はキリマンジャロで、高山病で死にかけた僕を急いで下山させるためにパトカーが使われた。しかし今回は、犯罪者とは言わなくても、ルールを犯そうとしたものとして、ある意味本来の意味に忠実な存在として、僕はパトカーに乗った。

 

宿へ

 宿は検問所から川沿いの一本道を降って、せいぜい車で5分ほどの場所にあった。一体どこまでパトカーで運ばれるのかが不安だった僕としては拍子抜けだった。公安は道沿いにパトカーを止めて、小さな商店をやっているおばさんに声をかけて、そのままパトカーに乗り込んで去っていく。おばさんは、ああまたこの手合いね、と言わんばかりの顔で僕らを手招きする。僕らは部屋に案内される。相当ひどい宿を想像していたが、結論から言えばそれは失礼な思い込みだった。通された部屋は木造りでそれなりに広く、素朴だが決して不潔ではない良い宿だ。標高が既に3000mを超えているためか、真夏にも関わらず分厚い毛布が準備されていた。

 

部屋でおばさんは淡々と説明をする。トイレはそこ。コンセントはそこ。ワイファイはない。明日7時半に成都に行くバスが宿の前に来るので遅れないように。それだけ話すと、バタンと扉を閉めておばさんは部屋を出て行った。ラルンに突撃する日本人は決して少なくないだろうし、そのチャレンジの多くはこのようにワンゼで阻止されている。そしてその元チャレンジャーたちの多くがこの宿にお世話になっているのだろう。にこりともせず簡潔な説明に終始したおばさんの対応は、手慣れたを通り越して機械的な印象さえ受けた。

 

失望と安堵の眠り 

ラルン突撃はあっけなく頓挫した。突撃は無理だと言われ、突撃し、無理だった。しかし部屋に残された僕らは、それについて考えるにはあまりに疲れすぎていた。まずはメシである。エネルギーがない。恐怖にさえエネルギーを回せない人間が、今後の予定を思考できるはずがないのだ。

 

僕らは宿を出てメシ屋を探す。山奥の検問所の近くにメシ屋があるのか不安だったが、それは杞憂だった。成都から色逹までの道はそれなりに太く、道沿いにモーテルや売店はある程度ある。近くには小学校もあり、町と言えるほどではないにしても、ある程度の人がここに住んでいるようだ。もともと町があったのか検問所にいる人々が住みついて町ができたのかはわからないが、なんにせよありがたい。せっかくなのでせめてチベットっぽいものを食べたいなと思ったが、あいにくあるのは重慶料理の店と四川料理の店だけだった。前者の店に入り、肉と野菜と米を頼んでかっこむ。長距離バスは始発時間が早く、また道中もきちんとした食事をとる時間がないため、朝食と昼食はどちらもコンビニで買ったパンだった。エネルギー不足も当然である。

 

さて。今後について話し合う。まずは、ラルンにトライするかどうか。例えば夜遅くに宿を抜け出し、検問所をこっそり抜けて、その後道を通る車にヒッチハイクをお願いするという方法もある。しかしあいにく天候が悪く、僕らが宿に着いた頃から雨が降り始めた。僕は想像した。雨の中街灯もない真夜中の道を、公安の目を気にしつつ歩く自分を。ここまでバスで来るだけでも心をかなりすり減らした。もし真夜中の行軍を採用するとすれば、心とともに体もかなり消耗するだろう。うまくいく保証もない。公安に見つかれば、前回よりも厳しい処罰が待っているかもしれない。先ほど公安に捕まった際、僕らは知らぬ存ぜぬを決め込んだため、向こうも厳しい追及を諦めたということもあった。何より彼らの前にもう一度、今度は確信犯として赴くのが嫌で仕方なかった。深夜の強行突破をするには、僕の心はすり減らされすぎていた。M君もどうやら同じ気持ちであったらしい。ラルンへの未練がないといえば嘘だ。未練タラタラである。しかしそれ以上に、疲れた。ただ、疲れた。成都に帰りたい。気づけばそんな気持ちに支配される自分もいた。ある意味、公安の狙い通りである。 僕は成都に帰れることを、どこかで喜んでいた。ベッドに潜り込んだ自分の頭の中では、ラルンへの思いを絶たれた失望と公安の監視から逃れられる安堵が複雑に入り混じり、やがてそれらは手を取り合って、僕を深い眠りへと誘った。

 

次回に続く。