思記

よしなしごとをそこはかとなく

ラルンガルゴンパ旅行記⑤

前回の続きです。未読の方はまず、以下の記事をお読みください。

「ラルンガルゴンパ旅行記①」

「ラルンガルゴンパ旅行記②」

「ラルンガルゴンパ旅行記③」

「ラルンガルゴンパ旅行記④」

こんなに長くなるとは…

 

急展開

2017年7月3日。起きたのは6時半を少し過ぎたあたりだったと思う。寝て起きたら観音菩薩が僕らをラルンに連れてってくれていると思ってたのに、なんて軽口を叩きながら準備をし、宿を出て、バスを待つ。道沿いで何か食べようと思ったが、朝はどの店もしまっていた。バスの休憩場所で何か調達しなきゃな、昨日パンを一つ残しておいてよかったな、そういえば行きのバスで隣の人が食べてた桃はうまそうだったな…こんな危機感のないことばかりを考えられるのは数十時間ぶりだった。早くバスに乗って、成都に帰って、パンダでも見に行こう。東チベットにある体を離れて、頭は一足先に公安のいない成都に到着していた。

 

7時半の少し前、例の宿のおばさんが僕らを迎えに来る。この国では物事が定刻前に進むのは珍しい。もしかしたらおばさんは公安から依頼された僕らの監視役なのかもしれない。きっとバスに乗り込む所まで確認して、公安に確認するんだろうな。そんなことをぼんやり思いながら、宿を出る。するとそこに待っていたのは、ここに来る時に乗ってきた大きなバスではなく、小さなタクシーだった。

 

僕はげんなりした。勘弁してくれ。ここまで来る道はバスであってもかなり揺れる悪路である。ましてやこんな小さなタクシーだったら、どれほど揺れることになるのか。これは車内で寝るどころじゃないかもしれない。それに個人タクシーだったら成都までいくらかかるかわからない。公安め、最後に嫌がらせかよ。あいつら昨日は同じバスで帰るって言ってたじゃないか…僕の心は、公安に対するイライラが支配しようとしていた。次の瞬間のおばさんの言葉がすぐには理解できなかったのは、きっとそのせいだ。

 

チュースァダァ!」

「…は?」

チュー、スァ、ダァ!!」

 

チュースァダァ、という言葉が頭の中で踊る。それは数秒の時間をかけて、僕の脳内でゆっくり簡体字と接続する。チュースァダァ、去色达。つまり、色逹に行け。こうおばさんは言っている。相変わらずにこりともせず、しかし昨日とは違う、少し熱を帯びた言葉で僕らに行けと言っている。

 

突然の展開に頭がついて行かなかった。数秒の思考停止を経て、一気に頭を再起動する。どうやらおばさんは、僕らを成都に送り返すのではなく、色逹に連れて行ってやろうとしているらしい。そのためバスが来る少し前にタクシーを呼んでくれたようだ。よく考えてみればタクシーは検問所の方を向いている。運転手はチベット系の顔をしている。ここに至ってようやく理解した。もしかして、おばさんが用意してくれたタクシーは、僕らをラルンに連れて行ってくれるのではないか?

 

M君もほぼ同時に理解したらしい。しかしこれは僕らにとってあまりに思いがけないことだったため、喜びはまだはるか後方にいた。相変わらず無愛想な態度を貫くおばさんに急かされるままに荷物を乗せ、車に乗り込み、挨拶もそこそこにタクシーは出発する。おばさんは宿の方向に帰っていく。その時、おばさんの白い歯がちらりと見えたような気もしたが、それは気のせいかもしれない。

 

通過

タクシーにはチベット仏教の高僧の写真や仏具らしきものがたくさん飾られていた。この人はおそらく敬虔なチベット仏教徒なのだろう。そんなことを思っている間にタクシーは、検問所にまっすぐ向かっていた。ああ、これは本当にラルンに向かうつもりだ。今からでもおばさんにありがとうと言いたい。まだ間に合う。叫べばきっと聞こえる。そう思って後ろを振り返ろうとした瞬間、ドライバーから指示が飛ぶ。

 

「これから公安のゲートを通過する。外から目視できない所まで頭を下げろ。」

 

慌てて僕は、膝に胸を押し付けるような体勢になる。頭をこれでもかと下げて、じっと目をつぶった。その後どれくらいの時間がたっただろうか。今度は少し優しい声で、ドライバーが僕らに告げる。

 

「頭をあげていいよ。もう大丈夫だ。」

 

ゆっくりと頭をあげる。ゲートをくぐるかくぐらないかで、見える景色が大きく変わるはずがない。しかし僕には、空気の色さえも数分前と違うような気がした。とうとう来たのだ。外国人立入禁止区域である色逹郡に、僕らは入れたのである。最大の関門を、想像さえもしていない方法で通過したのだ。予想外のことこそ旅の醍醐味、とはよくいう言葉ではあるが、本当に予想外のことが起こった時、それも、諦めかけていた場所へのアクセスが、全て他力によって可能になった時のあのふわふわした感覚はきっと生涯忘れないだろう。

 

宿のおばさん、そしてタクシードライバーのおじさんがなぜここまでリスクをとってくれたのかはよくわからない。公安のすぐ近くで商売をするおばさんにとって、公安との関係性は何よりも重要なはずだ。しかしおばさんは、見ず知らずで言葉も通じない日本人二人を、ラルンに連れていくという決断をした。タクシードライバーのおじさんも、僕らを後部座席に隠して、「密入国」の手引きをした。

 

この地で暮らす人々にとって、公安に目をつけられるということがどれほど大きなことかは僕らには想像もできない。成都でさえ、色逹行きのチケットを探していた時に、僕らに腫れ物に触るような態度をとった人もいた。それは彼らの人間性の問題ではなく、きっと公安を刺激するようなことを手引きしたくないというリスク回避の気持ちがあったのだろう。バスの中で僕らを日本人だと口々に告発した乗客も、きっと似たような心理だったに違いない。むき出しの権力が生活を脅かしうる存在としてそばにある時、きっと大多数の人は必然的に権力に従順になるのだ。旅行中そのような現場に立ち会うたびに、それを外国人という立場から批判することは決してするまいと思っていたし、彼らの判断を尊重しようと思っていた。だからこそ、宿のおばさんとタクシーのおじさんの行動には驚かされた。信じられなかった。特に宿のおばさんは、公安に僕らを任せられるくらい信頼されている存在である。しかし彼らは権力のすぐそばで、一見権力に従順なように見せかけつつ、影で小さな抵抗を続けていた。その面従腹背に、僕らは救われたのだ。それがなぜかを知るのはここから半日ほど先のことである。

 

僕は急いで一度緩めた緊張の糸を張り直す。ここからまた、公安とのかくれんぼが始まるのだ。それと同時に、義務感のようなものがむくむくと湧いてきた。理由はわからないが、宿のおばさんやタクシーのおじさんは、賄賂も何もないのに、なぜか僕らにラルンを見せようとリスクをとってくれている。その答えは、きっとラルンにあるに違いない。ラルンに辿り着けなければ、彼らの思いまで無駄にしてしまう。彼らの行為に応えるために、僕はラルンをこの目で見ねばならない。その思いに至った瞬間、ラルンは僕にとって「行きたい場所」から「行かねばならぬ場所」になった。

 

続く。

 

 

 

 

 

 

 

ラルンガルゴンパ旅行記④

前回の続きです。未読の方は以下の記事からまずはお読みください。

「ラルンガルゴンパ旅行記①」

「ラルンガルゴンパ旅行記②」

「ラルンガルゴンパ旅行記③」

 

検問室にて

道沿いの検問室には10名弱の公安がいた。彼らは皆黒ずくめの服装をしており、ぎょろりとした目で僕らを睨む。口々に何かを叫ぶ。そのほとんどは聞き取れない。この時点で、彼らは僕らが中国人ではないことをほとんど確信していたように思う。しかし彼らも中国語以外を話せないようだ。

 

僕らは、相手の言葉がわからないことに漬け込んで、だらだらとパスポートの提示を渋っていた。と言っても勝算があったわけではない。むしろ逆である。僕としては、このまま粘ればあわよくば、という希望はこの段階でほとんど捨て去っていた。そもそも足がない。僕らを降ろしたバスは既に影も形も見えない。万が一この検問を何かの拍子に通過できたとする。そのあとはどうする?ここからバスで二時間以上ある場所に、歩いて行くことなどできるはずもない。既に夕方で、太陽光線は山のてっぺんをかすめようとしている。僕らの粘りは、その先に何かがあるものではない。ただ単に、こんなにも簡単に、あっさりと、想像していた最悪のケースが目の前に展開されるリアルを受け入れるだけの時間が欲しかっただけなのだ。

 

 とうとう僕らはパスポートを出す。公安はひったくるようにパスポートを取ると、僕らのパスポート番号と顔写真を記録し始めた。僕はぼんやりした頭で昨晩のAさんの話を思い出す。そういえば捕まるとパスポートの記録に取られてブラックリストに載るらしい。そうか今まさにそのプロセスなのか。しかしその行為のリアリティを理解するには、当時の僕の頭は元気がなさすぎた。恐怖や不安もまた、感じるのにエネルギーがいるのだ。

 

パスポートを返却されると、公安がまた何か中国語でまくし立てる。しかし今度の彼らの口調は、先ほどの糾弾するようなそれとは少し異なり、何かを指示するようなものだった。しかし僕らは聞き取れない。すると公安の一人が気を利かせて、旅行者の女性を連れてきた。その女性は香港人らしく、英語が話せた。僕らはその女性に通訳をお願いし、公安と初めてまともな会話をした。

 

内容を要約するとこんな感じである。

「ここは中国政府の方針で外国人は入れない。しかしここに放置するわけにもいかない。今回は1回目だし、お前らはどうやらこのことを知らなかったようなので(著者注: アピールの甲斐があったというものだ)、我々はお前らを成都に送り返すことにする。しかしもう夕方なので交通手段がない。なので我々が手配する近くの宿に一泊して、明日の早朝にこれも我々が手配するバスに乗って帰れ。値段はそれなりに安いから充分支払えるだろう。了承したらこれからお前らをパトカーで宿まで送る。」

 

想像よりもずっと優しい。僕の想像では、それこそパトカーにぶち込まれて有無を言わせず成都まで送り返されるか、途方も無い罰金を取られるか、いずれにせよ帰るまでのプロセスの全てを向こうが手配してくれるとは想像していなかった。まあ公安からすれば、ラルンに行きたい外国人を検問付近で解き放てば何をするかわからない。そしてこれは後ほど実感したことだが、そもそも色達から外国人を締め出してほとんど強制的な開発をするのは中国としては後ろ暗いことである。ここで苛烈に取り締まって反感を買うよりも、穏便に帰っていただきたい。どこまで当たっているかどうかは定かでは無いが、IDチェックの前後での態度の若干の変化から、そのような公安の意図を感じた。

 

しかしいくら優しいとはいえ、僕らに選択肢はない。そもそも拒否権がないし、仮に拒否できたとしてもこんな山の中ではどうしようもない。僕らはパトカーに乗り込んだ。外国でパトカーに乗るのは人生で2回目だ。1回目はキリマンジャロで、高山病で死にかけた僕を急いで下山させるためにパトカーが使われた。しかし今回は、犯罪者とは言わなくても、ルールを犯そうとしたものとして、ある意味本来の意味に忠実な存在として、僕はパトカーに乗った。

 

宿へ

 宿は検問所から川沿いの一本道を降って、せいぜい車で5分ほどの場所にあった。一体どこまでパトカーで運ばれるのかが不安だった僕としては拍子抜けだった。公安は道沿いにパトカーを止めて、小さな商店をやっているおばさんに声をかけて、そのままパトカーに乗り込んで去っていく。おばさんは、ああまたこの手合いね、と言わんばかりの顔で僕らを手招きする。僕らは部屋に案内される。相当ひどい宿を想像していたが、結論から言えばそれは失礼な思い込みだった。通された部屋は木造りでそれなりに広く、素朴だが決して不潔ではない良い宿だ。標高が既に3000mを超えているためか、真夏にも関わらず分厚い毛布が準備されていた。

 

部屋でおばさんは淡々と説明をする。トイレはそこ。コンセントはそこ。ワイファイはない。明日7時半に成都に行くバスが宿の前に来るので遅れないように。それだけ話すと、バタンと扉を閉めておばさんは部屋を出て行った。ラルンに突撃する日本人は決して少なくないだろうし、そのチャレンジの多くはこのようにワンゼで阻止されている。そしてその元チャレンジャーたちの多くがこの宿にお世話になっているのだろう。にこりともせず簡潔な説明に終始したおばさんの対応は、手慣れたを通り越して機械的な印象さえ受けた。

 

失望と安堵の眠り 

ラルン突撃はあっけなく頓挫した。突撃は無理だと言われ、突撃し、無理だった。しかし部屋に残された僕らは、それについて考えるにはあまりに疲れすぎていた。まずはメシである。エネルギーがない。恐怖にさえエネルギーを回せない人間が、今後の予定を思考できるはずがないのだ。

 

僕らは宿を出てメシ屋を探す。山奥の検問所の近くにメシ屋があるのか不安だったが、それは杞憂だった。成都から色逹までの道はそれなりに太く、道沿いにモーテルや売店はある程度ある。近くには小学校もあり、町と言えるほどではないにしても、ある程度の人がここに住んでいるようだ。もともと町があったのか検問所にいる人々が住みついて町ができたのかはわからないが、なんにせよありがたい。せっかくなのでせめてチベットっぽいものを食べたいなと思ったが、あいにくあるのは重慶料理の店と四川料理の店だけだった。前者の店に入り、肉と野菜と米を頼んでかっこむ。長距離バスは始発時間が早く、また道中もきちんとした食事をとる時間がないため、朝食と昼食はどちらもコンビニで買ったパンだった。エネルギー不足も当然である。

 

さて。今後について話し合う。まずは、ラルンにトライするかどうか。例えば夜遅くに宿を抜け出し、検問所をこっそり抜けて、その後道を通る車にヒッチハイクをお願いするという方法もある。しかしあいにく天候が悪く、僕らが宿に着いた頃から雨が降り始めた。僕は想像した。雨の中街灯もない真夜中の道を、公安の目を気にしつつ歩く自分を。ここまでバスで来るだけでも心をかなりすり減らした。もし真夜中の行軍を採用するとすれば、心とともに体もかなり消耗するだろう。うまくいく保証もない。公安に見つかれば、前回よりも厳しい処罰が待っているかもしれない。先ほど公安に捕まった際、僕らは知らぬ存ぜぬを決め込んだため、向こうも厳しい追及を諦めたということもあった。何より彼らの前にもう一度、今度は確信犯として赴くのが嫌で仕方なかった。深夜の強行突破をするには、僕の心はすり減らされすぎていた。M君もどうやら同じ気持ちであったらしい。ラルンへの未練がないといえば嘘だ。未練タラタラである。しかしそれ以上に、疲れた。ただ、疲れた。成都に帰りたい。気づけばそんな気持ちに支配される自分もいた。ある意味、公安の狙い通りである。 僕は成都に帰れることを、どこかで喜んでいた。ベッドに潜り込んだ自分の頭の中では、ラルンへの思いを絶たれた失望と公安の監視から逃れられる安堵が複雑に入り混じり、やがてそれらは手を取り合って、僕を深い眠りへと誘った。

 

次回に続く。

 

ラルンガルゴンパ旅行記③

前回の続きとなります。以下の記事を未読の方はそちらからどうぞ。

「ラルンガルゴンパ旅行記①」

「ラルンガルゴンパ旅行記②」

 

思いがけない始まり

検問は思いがけないところから始まった。ワンゼに着く少し前、バスの助手席に当たる部分に乗っていた人(スタッフだったらしい)が、客から白いカードを集め始めた。隣の青年の手元を盗み見ると、居民身分証と記されていた。これは中国人なら誰もが持っている身分証明カード(ID)である。なるほど、とうとう来たか。IDチェックの時間である。検問所に到着してから始まると思っていたが、それもまた僕らの思い込みだったようだ。

 

検問にあたり、これまで日本人の先輩方の取って来た作戦は単純である。ただひたすら以下の言葉を繰り返すのだ。

 

「没有」

 

検問はこれで通過できた、という人をブログでは何人も見つけることができる。いわゆるメイヨー作戦である。中国語を話せないM君も、この作戦を取ることにしていた。しかし僕はこの作戦に懐疑的であった。昔ならともかく外国人規制が強化された今、果たしてそんな安直な(バックパッカーの先輩方ごめんなさい)作戦が通用するのだろうか。幸い考える時間はバスの中でたっぷりあったし、多少なら普通話を話すことができた。熟慮の結果、僕は以下の言葉を追加することにした。

 

「我掉了」

 

想像してみてほしい。あなたが公安だったとしよう。あなたは乗客が中国人かどうかを確認するため、IDの提示を求める。そこにある家族連れのおじさんがいた。そのおじさんはうっかり者で、バスに乗る時には持っていたはずのIDをうっかりどこかに落としてしまった。しかし家族がラルンに行けるのにも関わらず、おじさんはうっかりIDを落としてしまったが故に、家族と離れ離れになって、10時間以上かけて一人で成都に戻らなければならない。

 

「うっかり忘れちゃったんだ!」

「なくしちゃったみたいなんだ!」

 

悲痛な顔でそう訴えるおじさんを目の前にして、公安たるあなたはどうするだろう。もし僕が公安なら、こう言っておじさんをクールに見逃すに違いない。

 

「わかったよ、今回は見逃してやるよ。せいぜい家族サービスするんだぜ。」

 

この作戦の肝は二つある。一つ目は、僕は中国人であると相手に信じ込ませることだ。多くの外国人はここで挫折するが、その点は僕には自信があった。何しろ、中国を回っていて、中国人に中国人だと確信されなかったことはただの一度もない。中国語の発音もそれほど酷くないのか、中国語で話しかければまず間違いなく僕は中国人だと思われる。相手が早口の中国語で話しかけて来て聞き取れず、「ごめんなさい僕実は日本人なんです、中国語わかりません」と言っても、冗談だと思って笑われてマシンガンチャイニーズを継続するか、あるいは「そんな見え透いた嘘をついてまで俺と話したくないのか」と解釈されて非常に不機嫌になる。嘘に聞こえるかもしれないが、本当の話である。色逹までのチケットをあっさり購入できたのも、僕の顔がいかにも中国人だったことに起因しているのかもしれない。だからこそ、僕の顔(と発音)を持ってすれば中国人だと思わせることなど容易いと思っていた。

 

二つ目は、相手に哀れだと思わせること。ああこいつは大事なIDをなくしてしまったんだな、それで引き返さざるを得なくなるなんて想定もしていなかったんだな、かわいそうだなと思わせれば勝ちだ。しかしこれは下手に出ることを意味しない。むしろ、自分は中国人なのだからIDカードなんてなくても色達に行けて然るべきであるというくらいの堂々とした態度が必要だ。毅然とした態度で、さりげなく不幸を演出する。バスに乗っていた10時間のうち起きている時間の大半は、そのシミュレーションに充てていたと言っても過言ではない。

 

しかし結論から言えば、その時間は全くもって無駄になった。

 

スタッフとのやりとり

バススタッフがIDカードを回収するために近づいてくる。僕の隣の青年がカードを渡す。スタッフが僕の方を向く。緊張で声が裏返らないように細心の注意を払いつつ、何度も発音練習したフレーズを口にする。

 

「我没有身份证,我掉了。」

 

スタッフは怪訝そうな顔をする。僕はにこやかに、しかし困ったという表情を作って繰り返す。

 

「我掉了。」

 

スタッフは怪訝そうな顔を崩さない。しかし彼は、次の客のカードに手を伸ばし、目の前から去っていった。通過した!僕は喜びを抑えるのに必死だった。ちょろい。なんだ簡単じゃないか。大したことないぞ公安!

 

しかしその喜びが続いたは長くてせいぜい30秒である。僕のすぐ後ろでスタッフの大声が鳴り響いた。その発言の対象は、僕の左斜め後ろに当たる席に座っていたM君である。彼は中国語を話せないため、先述のメイヨー作戦を用いたのだが、どうやらうまくいかなかったらしい。周囲の乗客も何事かと身を乗り出してM君を見る。スタッフがM君にがなりたてる。しかしM君は、一切口を開かない。僕は昔から彼のことを尊敬しているのだが、彼への尊敬の念を深くした。あれだけ言われてたら、僕なら口を開いてしまったかもしれない。しかし彼は、泰然と、無言を貫いた。

 

そうこうしているうちにバスは検問所に到着した。検問というと大規模なものを想像していたが、ワンゼの検問所は拍子抜けするほど簡素なものだった。川沿いの二車線道路を登ったところに簡素な白と黒の縞模様のゲートがあり、道の左側に公安のオフィスがあった。バスがその前で止められる。黒い服の公安が乗り込んでくると聞いたが、僕らの時はそうではなく、スタッフが集めたIDを公安に渡して、乗客は全員バスを降りてそのIDを公安から直接返してもらうという形式だった。乗客はぞろぞろと下車するが、IDを回収されていない僕は下車するわけにはいかない。どうしようかと思ってM君の方を見ると、M君は動けない状況にあった。M君は窓際の席に座っていたのだが、隣の席にスタッフが座り、M君をすごい形相で睨みつけている。

 

するとバスに公安が乗り込んできた。黒ずくめの格好で、銃を携帯していた。バスの運転手が呼んだようである。スタッフが公安に話しかける。内容は聞き取れなかったが、おそらく以下のような意味だろう。

 

「外国人がバスに乗り込んでいる!」

 

公安はM君に荷物をまとめてバスから降りろと指示する。戸惑う僕を指差して、スタッフが何か言う。これも憶測だが、おそらくこんな意味だ。

 

「こいつもIDを持っていなかった。こいつも怪しい!」

 

すると公安は僕にも、荷物をまとめて降りろと指示する。僕らとしてはここで降りるわけにはいかない。なんとか抵抗しようとする。しかし、思わぬ敵となったのは、IDチェックを終えて帰ってきた他の乗客だった。彼らは僕らがバスの中で怪しかったことを公安に告げ、僕らに降りろ降りろと言ってきた。彼らにしてみれば、面倒なやつらは降ろして早く出発したというのが本音だろう。結局バスの中全てを敵に回すことになり、僕らは引きずられるようにバスから降ろされた。

 

 

次回に続く。想像よりはるかに長くなってしまって申し訳ないです。

ラルンガルゴンパ旅行記②

前回の続き。「ラルンガルゴンパ旅行記①」を未読の方はぜひそちらからどうぞ。 

出発前夜

思いの外簡単にチケットを得られてホクホク顔の我々に現実を突きつけたのは、その日ドミトリーでルームメイトになった日本人のAさんである。Aさんはもう五年近くバックパッカー旅を続けていらっしゃるベテランである。その人はちょうどラルンから帰って来たところらしい。ぜひ生の体験談を聞こうと話しかけたところ、Aさんはにこやかにこう仰った。

 

「バスで直接ラルンは絶対無理w」「バスで直接行けたら勇者だよw」

 

ラルンにアクセスするために、まずはバスで近くの町である色達に向かうのが一般的だ。成都から色達に向かうまでの道で必ず通過するポイントに、ワンゼという場所がある。そこで公安が大規模に検問を実施している。外国人規制が強まるに従ってこの検問は年々厳しくなり、今や外国人がここを通過するのはほとんど無理だそうだ。事実Aさんも一度はここで公安に捕まり、ラルン行きを断念したことがあったという。

 

Aさんのとった対策は、ワンゼの南にある手前の町(名前は忘れた)でバスがトイレ休憩に入った時にバスからおり、そこから乗り合いタクシーなどを使って深夜や早朝に通過するというものだ。現地の人は日本人がラルンに行きたいこと、そしてそのためならある程度の出費は厭わないことを知っているので、日本人をターゲットにした乗り合いタクシーがたくさんあるという。乗り合いタクシーの運転手と交渉し、深夜か早朝に公安のゲートを通過してもらえれば、少なくともバスで馬鹿正直に特攻するよりも成功率が高いそうだ。何としてもラルンに行きたい僕らは、その作戦を踏襲することにした。色達まで一本で行ければベストだが、実際に数日前に行って来た人がそういうなら仕方がない。

 

その日の夜のことは今でも思い出す。この国において力のない外国人が、国家権力に逆らおうとしている。大袈裟な表現ではあるかもしれないが、そこにあるのはヒロイズム的陶酔ではなく恐怖だった。その恐怖は、ラルンに行けないかもしれないという事実を受け入れさせつつあった。今回の旅は、自分一人ならまだしも、M君を巻き込んでしまっている。もちろんそれほどひどいことにはならないと頭ではわかっていても、胸騒ぎがそれで収まる訳ではない。無事に帰って来られることを祈りながら、僕は眠りについた。

 

バスに揺られて

 翌朝、朝の4時に起床してタクシーで茶店子バスターミナルに向かう。相当早い時間の起床だったにも関わらずすんなり起床できたのは、つまりは眠りの浅さの裏返しだ。思い返せばこの日から成都に帰ってくるまでの数日間は、心が休まる暇がなかった。

 

バスターミナルに到着し、すぐにバスに乗り込む。バスに乗り込む際にも身分確認があったが、ここはパスポートを出しても問題なく通過できた。途中で下車する人がいるからだろうか、それとも愚かな日本人をわざわざ救済する理由もないと思われたのだろうか。いずれにせよありがたかった。

 

いよいよバスに乗る。僕とM君は以前の取り決め通り、バスの中では一切会話しなかった。外国人であると周囲の人間にバレるとどうなるかわからないからである。どうしても、という場合にはスマホのメモに文字を打って、それを渡して意思疎通をした。

 

バスは成都を出て数時間は高速道路を進んだが、ほどなくして山道を進み始めた。道幅は狭く、あるところでは落石や陥没が放置され、またあるところではガードレールが吹っ飛んでいた。おそらくガードレールを吹っ飛ばした車は、そのまま川に突っ込んだのだろう。このような危険極まりない道なのだが、交通量は意外と多い。これは現在東チベットに向けた高速道路のような太い道を中国政府が建設中だからである。コンクリートの大きな柱を立て、そこに鉄筋の骨組みを作り、高速道路が作られている。我々の通った山道は、その道の下を縫うように進むものだった。後から聞いた話だが、中国政府は東チベットへの高速道路開発に注力しているため、山道の補修はもうしないつもりであるらしい。高速道路が完成すれば、少なくともバスのように山道に不釣り合いなサイズの車はもうスリル満点の山道を進まなくてよくなるそうだ。まあ、完成にはどう考えてもまだまだ時間がかかりそうなので、当面は山道が使われるだろう。事故が起きないことを祈るのみである。

 

成都から途中下車する予定の町までは10時間以上ある。当初は不安と緊張で冴えていた目も長くは持たず、出発から数時間で眠りにつき、その後は寝たり起きたりを繰り返した。

 

まさかのチャレンジ

出発から9時間程度が経ったトイレ休憩。予定では、ワンゼの手前の町に着く頃であり、そろそろ下車する準備をしなければならない。ここで、百度マップを確認したM君から衝撃的な事実を聞かされることになる。

 

「どうやら道が聞いていた話と違う。このままではワンゼに直接ついてしまう。」

 

寝ぼけた頭を叩き起こすには十分な情報だった。ここで、我々の勘違いの根源である、その周辺の道路状況について簡単に説明したい。頭の中に大きなYを思い浮かべてもらうとわかりやすい。左上、右上、下の三本の直線がそれぞれ道路である。Yの中心の線が集まる点がワンゼで、左上に向かう直線が色逹に向かう道路だ。

 

問題はここからだ。成都からYに向かう道筋は、右上の道と下の道のどちらを用いるかで二通りある。成都から色逹への道順を百度マップで調べた際、通過するはずの道は下の道であり、そしてその下の道の途中に我々が途中下車するはずの町があった。しかしこのバスはどうやら右上の道からワンゼに向かうバスであったらしい。バスによって通過するルートが異なるのは当然だが、そのことに全く思い至らなかった。仮に思い至ったとしても、確認するのはかなり難しかっただろうとは思うが。

 

M君とスマホのメモをやりとりによる緊急作戦会議が開催された。5分間に及ぶ討議の結果、結論が出た。

 

「強行突破で行こう」

 

作戦会議というのは本来複数の選択肢から最善を選択する会議である。その定義に則るならこれは作戦会議ではない。そもそも途中下車できる町がない時点で、取ることのできる手段は現時点でそれしかないのだ。お互いの腹を決めるための時間がこの5分だった。

 

作戦会議をしたトイレ休憩の場所からワンゼまではだいたい1時間程度であった。図らずも「勇者」になってしまった僕らにできたのは、二度目の奇跡を祈ること、ただそれだけだった。

 

次回に続く。

 

 

 

ラルンガルゴンパ旅行記①

まえがき

ラルンガルゴンパ(以下ラルン)という場所をご存知だろうか。ラルンは、四川省甘孜藏族自治州の色達郡にあるチベット仏教の僧院である。中国語では五明佛学院と表記される。日本語ではなかなか情報がないので、詳細は以下を参考にしてほしい。

baike.baidu.com

 

標高4000m近い山々の中に広がる紅色の美しい僧院郡は、多くの旅人の憧れである。僕もまたその景色に憧れた一人であり、友人のMくんと共に今夏ラルンを訪れた。その時のことを書きたいと思う。

 

チベットと中国政府は緊張関係にあるため、なるべく新しい情報が必要である。ラルンに行くために多くの先人のブログの情報が参考になった。僕の経験がどこまで参考になるかわからないが、恩返しのつもりで僕の経験を共有したい。また、ラルンに辿り着くまでに多くの方々にお世話になった。きっと彼らはこのブログを読むことはない(そもそも読めない)だろうが、これもまた恩返しのつもりで、彼らについても書きたいと思う。

 

成都からラルンガルゴンパへ

チケットの確保

ラルンへの出発点となる成都に到着したのは2017年6月30日である。僕らはHello Chengdu Int'l Youth Hostelに宿泊した。ここは成都からチベット圏への拠点となる宿で、多くの日本人バックパッカーが利用する。

www.booking.com

ラルンに行く旅人はここでラルンのそばにある色達という町まで行くバスを斡旋してもらうのが一般的である。しかし僕らの時はそれができなかった。なんでも、2016年5月からの外国人規制により、外国人にチケットを売ることもできなくなったという。宿の人たちの雰囲気を見ても、ラルンに行く人にあまり関わりたくないという雰囲気だった。情勢の変化とはかくも早いものなのだ。

 

しかしせっかく成都まで来たのに、こんなところで諦めるわけにはいかない。しつこく食い下がると、スタッフの一人が「バスターミナルでならチケットを運良く買えるかも」と教えてくれた。早速バスを乗り継いでバスターミナルに向かった。

 

バスターミナルにて

バスターミナルに到着すると、まず目に入ったのは真っ赤な看板。「2017年4月1日より身分確認を徹底します」と書かれてあった。ただでさえ可能性は薄いことは理解していたが、この言葉で僕らはバスチケットの購入をほぼ諦めた。しかしせっかくここまで来たので、ダメ元でチケット売り場に行ってみる。すると、外国人はパスポートなどの提示を必ず求められる一方で、現地人は身分証明書をほとんど提示していないことに気づく。これはいけるかもしれない。希望がまた膨らみ始める。旅行中何度も漢民族に間違われて来た自分の容姿が今回も効果を発揮することを祈りつつ、以下のフレーズをなるべくネイティヴっぽく係員に伝えた。

 

「明天上午我们想去色达,要两个票!」

「526块」

「!!!」

 

買えてしまった。ありがとう我が漢民族フェイス。なるべく動揺を面に出さないようにしつつ慌てて購入し、建物を出て、思わずM君とハイタッチ。最初にして最大の難関を超えた喜びから、これはひょっとしてあっさりラルンに辿り着くのではないか?と楽観的な気分になっていた。この時の僕には、この24時間後に本当の難関にぶち当たること、その楽観が権力によって粉砕されることなど知る由もない。

 

次回に続く。